仏教はオルタナティブである/「誰そ彼」10周年記念 遠藤卓也さんインタビュー

神谷町・光明寺の音楽イベント「誰そ彼」がはじまって今年で10年目を迎えました。「誰そ彼」は、「彼岸寺」の松本圭介がお坊さんになって間もないころ、学生時代の友人たちと立ち上げた音楽イベント。また、築地本願寺の「他力本願で行こう」の原型ともなり、全国のお寺に音楽イベントのムーブメントを起こすきっかけにもなりました。

今回は、「誰そ彼」の発案者であり、リーダーでもある遠藤卓也さんにインタビュー。「誰そ彼」への思いを中心にお話をうかがいました。

「お寺で音楽を聞いたら絶対気持ちいいよね」


——「誰そ彼」は今年で10年目になるそうですね。最初はどんなふうに始まったのでしょう。

松本(圭介)くんが就活しているから「何をするのかなあ」と思っていたら「お坊さんになったんだ。神谷町のお寺なんだけど、ちょっと来てみない?」と言われて。今回の「誰そ彼 vol.24」フライヤーをデザインした栗本くんと一緒に行ってみたんです。

僕はそれまでお寺に縁がなかったので、「ここで住みこみしてお坊さんやるんだー」って言われても「へ——!」って言うしかないじゃないですか? テラスで三人でぼーっとして「ここで音楽聞いたら絶対気持ちいいよね。ブライアン・イーノとか?」「あ、聴きたい!」っていう話になって。

そしたら、松本くんが「じゃあ、そういうのを聴く会をやろう」と言いはじめたんですね。たまたまその当時の仲間に「DJセットをお寺に寄付します」って人が現れたので、松本くんの持っていたスピーカーやアンプをつなげたらDJイベントができる。僕らはもう「お寺でどんな音楽を聴こう?」ってワクワクの気分でした。ジャズはどうだろう? アンビエントはどうだろう? って。それで、企画したのが第一回の「誰そ彼」です。

——へえー!
それでその第一回「誰そ彼」の前日とかに、イギリスで即興音楽をやっていた友人と飲んでいて「明日、お寺でこういうことやるから遊びにきてよ」と誘ったら「オレ、そこで演奏したい」と。さらに、今も「誰そ彼」スタッフをしている齋藤くんが「友達にエレクトロニカ系の音をやっている人がいるから」と言いはじめたので、「じゃあライブイベントにしちゃおう」ということになりました。もうぶっつけ本番です。

最初は、ホームパーティみたいなことをやるつもりだったのに、みんなが友達を呼んで100人くらい集まりました。松本くんがメディアを呼んで記事になったりもして「ああ、これはおもしろいな!」と。

——DJイベントのはずが、偶然の重なりでライブイベントになっちゃった。
そうなんです。2003年の7月が最初で、秋に2回目をやって「お寺のライブイベントとして続けていこう」という話になったときに、向井秀徳さんにオファーしました。向井さんは、その頃ちょうどナンバーガールが終わって、ZAZEN BOYSを始めた頃で「法衣を着たツェッペリン」という触れ込みだったので、ぜひお寺でやってほしいなと思ったんですね。

あまり前から告知すると人が来過ぎて光明寺が大変なことになっちゃうから、前日か前々日に向井さんのウェブサイトだけで告知をしてもらったんですけど、やっぱり100人以上のお客さんが来られました。

彼岸と此岸を渡す架け橋になりたい


——「誰そ彼」というネーミングはどこから?
民俗学者の柳田國男の本『妖怪談義』の中から取りました。街灯もないような昔の暗い道々では、会う人が村人なのか、旅人なのか、あるいは人間以外のモノなのか見分けがたい。そこですれ違う相手に「誰ぞ、彼?」と呼びかけていたような時間帯を、柳田國男は「誰そ彼(たそがれ)」と呼んでいます。

神谷町はビジネス街ですから、土曜日はゴーストタウンみたいに人がいないんですよ。だけど、そこに暮らす人もいるしお寺もある。その境界線というか、日常と非日常の架け橋として横たわっているのが「誰そ彼」のイメージなんですね。開催する時間帯も5時から9時でちょうど夜に変わっていく黄昏時ですしね。

——仏教との接点については、スタッフのみなさんはどう考えておられたんでしょう。
僕はお寺や仏教に興味はあったし、”日本的なもの”としてなんとなく良い印象は持っていたんですけど、そこにいきなり自分がコミットしていくのはおこがましいのではないかという思いもあって。突然お寺に入っていって音楽イベントをやりはじめて「仏教好きです」とか言い出しちゃう感じは、ちょっと……

——ちょっと調子がいい感じというか?
そうそう。仏教のことは松本くんや小池龍之介くんに任せて、自分たちは音楽イベントに徹するという考えがあったような気がしますね。スタッフの齋藤くんが最初に「ブッセ・ポッセ・イシュー(※「誰そ彼」来場者に配布されるフリーペーパー)」に書いた「彼岸と此岸 行ったり来たり」というコラムが、当時の僕らの精神的な礎となった感じがあるんですけど。

「彼岸寺」の前身にあった「彼岸通信」というお坊さんたちがやっているメディアがあって、東京で暮らす僕らを”此岸”と捉えると、「誰そ彼」はその中間というか。「誰そ彼」での活動はお寺や仏教への架け橋のような存在なんだという思いがあったんですね。スタッフ達もみんなそれにすごく共感していました。

暗くなっていくお寺に音楽が流れていて、一緒に来ている人の顔もよく見えなくなって、ちょっとコミュニケーションが変わる。そういった少し特別な場所を提供するんだという思いがあって。来てくれた方々に「今日はちょっと違ったな」っていう感触を持ってもらえたらすごくうれしいなあと思っています。

ロック布教で仏教のファンに!?

——「誰そ彼」スタッフのみなさんは、お世話になっている光明寺さんへの恩返しとして大掃除を手伝ったりと、お寺のみなさんとのご縁を深めておられるそうですね。遠藤さんは、仏教についてはどんなふうに思っていますか?
僕自身は野球が好きなわけではないんですけども、野球になぞらえると僕の仏教に対するスタンスは「お気に入りの地元球団をファンとして応援する」みたいな感じでしょうか。

——「お気に入りの球団」。どうしてそういう気持ちを持つようになったのでしょう。
お坊さんの友達が増えて、仏教をより身近に感じられる機会が増えたからだと思います。なかでも築地本願寺で「他力本願でいこう」というイベントを始めたときに、築地本願寺側の担当者だった杉生値さん(現在は滋賀県にある雲夢山壽命寺の住職)との出会いは大きいです。音楽の趣味も合うし、お酒も好きだし、お兄ちゃんみたいな感じで何かにつけて飲みに行くようになって。杉生さんは、ナチュラルボーンなお坊さん(※お寺生まれ)だから、酔っ払うとU2の話からいきなりこじつけて仏教の話を始めたりするんですよ。

「誰そ彼」のスタッフ達が発行しているメールマガジン「誰彼通信」でも「午前3時の泥酔仏教放談」というコーナーを持ってくれて「忌野清志郎の歌詞には仏教の言わんとしていることが凝縮されている!」みたいな(笑)。こじつけのような気もするんですけど、とても納得できたりして。僕たちが好きなロックとか、そういった現代の文化にも仏教はフィットするなあ、すごいなあと思ったんです。

——お坊さん、まさかのロック布教ですね(笑)。
ロック布教でしたね。僕が仏教を好きになったきっかけは杉生さんの影響が大きいかもしれない。ふたりで酔っ払っていろんな話をするのが楽しくて。

松本くんによって身近にお坊さんがいる状況が作りだされ、そのなかでだんだんと自分でも仏教に興味を持つようになりました。急に「仏教を応援したい」と変わったわけではなくて、日々の積み重ねでだんだん変化してきたと思うんですよ。

「仏教はオルタナティブである」

——遠藤さんご自身は、仏教から影響されるところはあるのでしょうか?
僕は、自分が10代を過ごした90年代のオルタナティブロックが好きなんですが、”オルタナティヴ”というキーワードと仏教がカチッとハマった事で自分の仏教に対するイメージが膨らみました。

日々の暮らしの中で、特に疑いもせずに「そういうものなんだ」と思いこんでることって、誰しもあると思うんですけど、そういった「当たり前」とは違う視点や方法もあるんだ!っていうような、「もう一方の」という意味で僕は「オルタナティブ」というキーワードを使っています。そこで、「仏教はオルタナティブである」と考えると、カチッとハマったんですね。

——仏教はオルタナティブであるということをもう少し詳しく教えてください。
たとえばキリスト教の宗教画を見たとして、遠藤卓也という個人の主観で見ると「はあ、そうですか」で終わっちゃうかもしれないんですけど、仏教に腰をかけさせてもらって、その位置から眺めると、宗教的表現の思いにもっと迫れるというか。

「昔の人が、苦しい世の中で何かを表現して拝みたい、大きな力をかたちにして心のよりどころにしたいとも思って、大仏みたいなものを作ったんだなあ」と仏教に思いを馳せてみると、別の宗教的表現に接したときにもっと感情移入ができるようになったんですよね。
仏教によって”もう一方の”視点を与えてもらった感じですね。

その体験が面白くて。例えば歴史小説を読んでいても、以前はむしろ戦の部分とかに注力して読んでいたんですけど、この頃では仏教のことが描かれていると「おっ!」て思ったりする。

日常のなかで「どこを拾うか」というインプットが少しずつ変わってきたことで、アウトプットも変わってきていて。本や映画に手を伸ばすときのチョイスが変わってきたり、どんどん連鎖的に行動が変化していくんですよ。

——お話に共感するところがとても多いです。私の場合は、お坊さんにインタビューしつづけた結果、「仏教だとどう考えるの?」っていう感じで「オルタナティブ」な視点を持つようになってきました。遠藤さんは、仏教の教えそのものにはどう思っていらっしゃるのでしょう。
たとえば、すごく困ったときやつらいときに、ただ「南無阿弥陀仏」と唱えれば救われるっていうのは、自分を助けるためのすごくコンパクトなツールというか。ドラクエの呪文みたいに20文字も50文字もあったら覚えにくいし、「あ」とか「い」みたいに短いとあまり効力がなさそうだけど、「南無阿弥陀仏」って誰にでも覚えられるちょうどいいサイズだし、音的にもちょっと口に出してみたくなる。

——最強のキャッチコピーですね。
それを、昔に考えてみんなに「とりあえず使ってみて」って渡している。そして、みんながそれを口にしたわけですよね。そんな「南無阿弥陀仏」を入り口にして、仏教には人が生きやすくなるためのいろんな智慧が詰まっているわけで、すごく考えられているなって思います。「これって、おこがましい考えかもしれないけど、仏教って利用するためにあるものなの?」と聞くと、杉生さんや松本くんは「そうだよ。なんでみんな利用しないの?」と。

——遠藤さん自身も、仏教の教えをツールとして利用して生きやすくなることはありますか?
うーん、もちろんあるんでしょうけども、それにひとつフィルターを通す感じかもしれない。僕も、本当に困ったときには「南無阿弥陀仏」と言うかもしれないけれど、それよりも「昔の人は南無阿弥陀仏と唱えて気分を楽にしたんだなあ」って思いを馳せることが、救いというか心の余裕? なんて言うんだろう。愛すべきストーリーだし、そういうことが世の中にあるんだなと思うとうれしくなるんですね。

これからの「誰そ彼」は?

――これからの「誰そ彼」については、何か考えていることはありますか?
お寺のライブイベントはもう珍しくないですし、普通に面白いことはもう目をつぶってもできるような感じになっていて。スタッフも入れ替わってきているので、新しい空気感を反映させていくのが次のステップですね。

——遠藤さんが、今の「誰そ彼」でいちばん楽しいのはどんなところですか?
出演者をはじめとした人とのご縁がどんどん広がる面白さや驚きがすごく楽しかった時期もあったのですが、今度はお客さんたちとの新しい縁のなかでのコミュニケーションが楽しくなる仕掛けを入れていけたらいいのかなというのが、これからの思いです。

少し歳をとって、自分たちが生きるうえでの考え方とか、日々思うことをお客さんたちと共有して共感しあえたらうれしいですね。

——「彼岸寺」で松本さんと一緒に連載をしていただけるそうですね。
そうそう。「お寺の名物を勝手に認定する」っていう連載(笑)。僕は「誰そ彼」を作ったので「お寺の名物プロデューサー」っていうスタンスで、松本くんと一緒に他の人が気づかないようなお寺ごとの名物を発掘して勝手に認定する、っていうことをやりたいなと思っています。

——連載スタートを楽しみにしています。ありがとうございました!

■誰そ彼 vol.25 
8/11(土)に開催。出演者などの詳細情報は近日中に、WebサイトやFacebookページ等で告知予定。(お寺への直接のお問い合わせはご遠慮ください。)

誰そ彼 Webサイト http://www.taso.jp/
誰そ彼 Facebookページ http://www.facebook.com/jp.tasogare

■遠藤卓也さんプロフィール
1980年東京生まれ。立教大学卒業後、仕事をする傍ら神谷町 梅上山光明寺にて『お寺の音楽会 誰そ彼』を主宰。初期『彼岸寺』においてサーバ管理やメルマガ執筆等も担当。お寺やお坊さん界隈に出入りするうちに仏教に愛着を抱く様になる。他の活動としては、築地本願寺で数年に渡って開催されていたイベント『他力本願でいこう!』や、全国各地の温泉で行なわれているイベント『音泉温楽』へのサポート参加など。

テラ―・トワイライト(ブログ):http://www.komyo.net/teratowa/
Facebook:http://facebook.com/taso.jp
Twitter:@tasogarecords

お坊さん、地域で生きる人、職人さん、企業経営者、研究者など、人の話をありのままに聴くインタビューに取り組むライター。彼岸寺には2009年に参加。お坊さんインタビュー連載「坊主めくり」(2009~2014)他、いろんな記事を書きました。あたらしい言葉で仏教を語る場を開きたいと願い、彼岸寺のリニューアルに参加。著書に『京大的文化事典 自由とカオスの生態系』(フィルムアート社)がある。