コラム(1) 大庫院の一日 〔1〕 午前の流れ

コラムの第1回でも申し上げました通り、私は曹洞宗大本山永平寺で修行をしていた時、道場の台所である大庫院(だいくいん)という寮舍(部署)に5ヶ月強ほど配属されておりました。 曹洞宗の修行道場では、台所のことを典座寮(てんぞりょう)と呼ぶのが通常ですが、永平寺では庫院と呼んでいました。

永平寺の山内は時代とともに拡張されてとても広く、雲水(修行僧)の数も多いので、2つの庫院が設置されています。 私の居た大庫院は山の中腹にあって、その近辺の寮舍にいる雲水や大切なお客様の為の食事、また僧堂で食べる用の食事を作り、一方、山のふもと辺りにある小庫院では、その近辺の寮舍にいる雲水や宿房に泊まる一般参拝者の為の食事を作ります。

それではここで、私のいた頃の大庫院の一日を2回に分けてご紹介しましょう。 今回は午前中編です。

■振鈴2時間前 仏様用のお供えを作る仏菜(ぶっさい)当番1名、大衆(だいしゅう:修行僧)の小食(しょうじき:朝食)用の胡麻塩、沢庵、粥を作る大衆加番1名が起床。
■振鈴50分前 あらゆる準備をする典行(てんなん)当番1名起床。
■振鈴(夏期は3時半・冬期は4時半) その他の役に当たっていない人が起床。 小食用の手伝いをする大衆当番 ・大加番(おおかばん)の2名以外は暁天坐禅(朝の坐禅)、朝課諷経(ちょうかふぎん:朝のお勤め)を行ずる。
■朝課中、仏菜当番と典行当番で典座和尚の部屋、野菜置き場、水回りを掃除。
■他の寮舍から僧堂で食事を配る役目の浄人(じょうにん)が来るので、配膳する。
■僧堂に食事を運ぶ前に、典座和尚が修行僧に食事を供養(お供え)する前の儀式・僧食九拝(そうじききゅうはい)を庫院前にまつる護法韋駄尊天の面前で執り行う。
■僧食九拝後、典座和尚の部屋にて行われる朝参の拝に典行当番が参加。
■僧堂で小食を行ずる。
■小食後、大衆当番(大衆当番・大衆加番・大加番)の3名で中食(ちゅうじき:昼食)の準備。 仏菜当番が小食前に作った昼の仏菜を準備。

ここまでが、午前中の大まかな流れです。 1日ごとに役目が代わり、このように当番に当たると、午前中は非常にあわただしく動かなければなりません。 とくに2時間前に起きる仏菜当番と大衆加番はほとんど寝る時間がありませんから、結構大変な役目です。

そして小食・中食時、僧堂に料理を運ぶ前に行う僧食九拝という儀式は、道元禅の特徴がよく出ているところです。 曹洞宗の料理に関しての心得は道元禅師がお書きになった 『典座教訓(てんぞきょうくん)』、食時(じきじ)作法については『赴粥飯法(ふしゅくはんぽう)』という書物がそれぞれあります。

道元禅師は『典座教訓』 の中で、修行僧の食べる食事に対して、作った本人である典座が、香を焚き心をこめて九拝の礼をして送り出すという丁重な礼法が当時の日本には伝わっておらず、食事と言う行為を軽く見ている日本仏教を嘆いておられ、食事は修行であるという思想とともに、僧食九拝という儀式の重要性が説かれています。 因みに「九」という数字は中国では満数なので、九拝とは最上級の礼法を指します。

つまりは、共に生きる人々に私の作った食事を食べていただくという心のこもった姿勢なしには、精進料理を語ることはできないということです。

【参考文献】
道元『典座教訓・赴粥飯法』 全訳注:中村璋八・石川力山・中村信幸 1991 講談社

吉村 昇洋

1977年3月生まれ。広島市街にある曹洞宗八屋山普門寺副住職。 相愛大学非常勤講師。 駒澤大学大学院にて仏教学修士を取得後、仏教を学問する世界から飛び出して実践の場を求め、曹洞宗大本山永平寺にて2年2ヶ月間の修行生活を送る。その後、広島国際大学大学院にて臨床心理修士を取得し、現在臨床心理士としても活動している。 彼岸寺では、2005年より【禅僧の台所 〜オトナの精進料理〜】を展開する。 現在、精進料理のみならず、禅仏教や臨床心理学、仏教マンガに関しても積極的に執筆や講演の活動を行っている。