静かなお寺で原発問題について話した夜のこと

2012年8月30日の夜、京都の法然院さんで、法然院の梶田真章さんと新潟・極楽寺の麻田弘潤さんによる対談『お坊さんといっしょに原発の話をしよう』を開催しました。平日夜にも関わらず30名以上が参加。おふたりが静かにお話されるお坊さんであったせいもあるのでしょうか。原発という重たいテーマを話す場であったにも関わらず、とても穏やかな雰囲気の場になりました。

はじめに、麻田さんから「どうして柏崎・刈羽原発の再稼働を阻止する訴訟に原告代表として参加することになったのか」「仏教者として原発問題にどう向き合おうとしているのか」のお話からスタート。「経済学者が経済から見る、科学者が科学で考える。仏教は苦に向き合うことから始まったのだから、僕は仏教者として原発問題が引き起こした苦に向き合っていく」という言葉は、参加者に深く響いたようです。

このイベントのようすをお伝えするとともに、私なりに感じたことを書いてみたいと思います。

福島のお母さんが一生抱えていく苦しみ

麻田さんは、福島から新潟へ避難してきたお母さんの声をいくつか紹介してくれました。「放射性物質が飛んでいると思うと空をきれいだと思えなくなった」「避難先でサッカーを好きになっても、いずれ福島に変えれば外でのスポーツはさせてあげられない。屋内スポーツをさせなければと思う」。こういった話は、メディアではほとんど伝えられません。少でも、実際のところ、これから私たちの命が尽きても続くであろう原発問題にはここから向き合う以外ないのではないかと、私は思っています。

その流れを受けてのお二人の対談では、梶田さんから「お寺はお檀家さんに支えられているし、お檀家さんに電力会社の人もいる。原発のある地域のお坊さんは、原発問題に触れることも難しいのではないか」という視点が示されました。たしかに、原発のない土地で、檀那寺との関わりもほとんどなく生まれ育った私にとって、お坊さんといえばひとりの仏教者として見ているところがあります。「いろんな立場のお檀家さんがいる」お寺の住職としてのお坊さんの立場、そこにもまたひとつの苦があることを忘れてはいけないのだなと考えさせられました。

また、梶田さんは「私たちもまた加害者であり、当事者である」とも発言されました。このような事態が起きてしまったのは僧侶である自分にも責任があるのだと言いきる梶田さんの覚悟。僧侶として福島の人たちの苦に向き合おうとする麻田さんの覚悟。おふたりの隣で、私自身はどうこの問題に覚悟を決めるのか? を自分に問い続けていました。

原発についてこんなに穏やかに話せるなんて

おふたりのお話の後は、参加者になるべく知らない人同士で3人グループを作ってもらい「なぜここに来たのか」「今日のお話をどう聴いていたか」を話す時間を10分間つくりました。こういった場では「話を聴く」うちに、心の中にいろんな思いが生まれてくるものだと思います。ほんのわずかでも、その思いを共有する時間を作ると場のエネルギーがぐっと高くなるのを感じました。

最後の質疑応答では、10人近くの方から次々に質問や感想が述べられ、もう誰からも手が上がらなくなってから終了。小さな紙を配って感想やおふたりへのメッセージを書いてもらい、壁に取り付けた模造紙に貼ってシェアしてもらいました。この感想もほぼ全員が書いてくださり、参加度の高い場になったことにホッとしています。

また、終わった後に麻田さんから「原発問題を話し合ういろんな場に参加してきたけれど、今日ほど話しやすい場はなかったです」と言っていただけたこともうれしかったです。声高に意見を言い合う、対立する意見をぶつけ合う場も必要かもしれません。でも、放射性物質が引き起こす問題はこれから100年とか、そういう長い時間続いていくものだと思います。

立場を問いあう前に、まずは自分をじっくり掘り下げて向き合う時間が必要だし、それにはこういった静かに穏やかに話し、聴く場もあっていい。そんな風に考えています。

「次は行こう」と思っている人たちへ

私は今まで、京都の街で何度かお坊さんをゲストに一般向けイベントを開いてきましたが、いつも参加者のなかに数名以上のお坊さんがおられました。でも、今回はもしかしたらひとりもおられなかったように思います(少なくとも僧侶という立場を明らかにされる方はいませんでした)。これは正直意外だな、と思いました。

事前告知では、TwitterやFacebookでビックリするほど大きな反響があったので、お坊さんからも、そうでない方からも注目されている実感があったのです。フライヤーの反応もすごくいいと聞いていたので、当日の参加者数もまったく予想できなくて。結局、梶田さんがご用意くださったイスの数がほぼピッタリ。長年のカンがあるのでしょうか…!

翌日、フライヤーを置いてくれたカフェのマスターと話していたら「30人も? 多いじゃないですか。きっと、一回目はみんな様子見だったと思いますね。今回のようすがわかったら次回はもっと増えるんじゃないか」と言われたので、こうして長々とレポートを書いている次第です。

もし今回、100人以上が集まる盛大な場になり、ものすごく満足度が高かったら、私も「ああ、よかったな」と次を考えなかったかもしれません。でも、「行きたい気持ちはあるけどどうなのかなあ?」という視線を感じてしまっているので、なんだか次もやらなくちゃいけないような気持ちになってしまっています。

数百年の歴史のなかにあるお寺だからこそ、そこを守るお坊さんだからこそ考えられること。お寺の住職だからこそ自由になれないこと。仏教者として苦に向き合うという覚悟。自分の命が尽きた後、未来の子どもたちに影響しつづける原発のこと。それに向き合って生きていこうとすること。

「お坊さんと一緒に考える」ということをしたい、という軸ははっきり決まっているのですが、それをどう展開していくのか? について考えこんでいます。なんだろう? お坊さんも参加者にも安心してもらえる場で、原発の話をしてほしい。そういう場をずーっと長く続けてみたい。なんだか、そんなことを今はぼんやり考えています。

お坊さん、地域で生きる人、職人さん、企業経営者、研究者など、人の話をありのままに聴くインタビューに取り組むライター。彼岸寺には2009年に参加。お坊さんインタビュー連載「坊主めくり」(2009~2014)他、いろんな記事を書きました。あたらしい言葉で仏教を語る場を開きたいと願い、彼岸寺のリニューアルに参加。著書に『京大的文化事典 自由とカオスの生態系』(フィルムアート社)がある。