お寺の子ども

お寺というのは子育てするのに実に贅沢な環境です。
我が家の場合、日中主人と一緒にいる時間が長く、そのうえ2世帯、そこにプラスしてお檀家さんが顔を出してくださるので、母親の私は息が詰まることなく随分ラクな思いをさせてもらっています。息子に対して関わる人が多いためか、生後2ヶ月を過ぎたあたりから早くも「あーあー、うーうー」とお話しする姿に感激しています。これは単なる親バカでしょうか。

子どもの存在は周りの空気をとことん明るくしてくれます。自然と笑顔がほころび、癒されているのは家族だけでなく、お寺の行事や聞法会に集まる人にも及びます。息子は皆のアイドルで、息子を抱いているとまわりに自然と人だかりができて、四方八方から話しかけられます。そして昔と今の子育ての違いやら、顔は誰似なのか…と話題は尽きません。よく考えるとそうやって話しかけてくれるほとんどの方が息子の亡き曾祖父、はたまた長生きした高祖母(曾祖父の母)まで知っているので不思議な気がします。私も会ったことが無いのに、こういうふとした事にお寺の凄さを感じます。

それにしても子供が持っているパワーというのは凄いものです。
先日、お寺に来られたお檀家さんは少し痴呆の症状がある方だったのですが、息子を抱いてもらった途端に目つきが変わりました。精神的に元気が無い方の時もそうだったのですが、目が生き生きと輝き、表情が柔らかくなられました。世の子どもたちは未来の希望そのもの、子は宝、みんなの宝、とくにご年配方はまるで眩しい光を見ているような気さえします。お檀家さんの中には遠方に住む実のお孫さんよりうちの息子の方が頻繁に会っている方もいるでしょうし、独り暮らしの方やお孫さんがいらっしゃらない人にとって、おそらく孫に代わるような存在です。沢山の人に可愛がってもらえるのはお寺の子の特権なのかもしれません。今の社会ではなかなか難しくなっている「地域全体で子供を見守る雰囲気」がお寺には残っているなと感じます。

この先、きっと息子は「お寺の跡継ぎ」というプレッシャーが付いて回るかもしれませんが、すでに多くの人を笑顔にさせている様子を見ていると、小さな息子がとても頼もしく思えてなりません。自由気ままに生きてきた母親の私からすれば、あまり将来のことを押し付けたくないような、でもちゃんと皆の期待に応えてお寺を継いで貰いたい気持ちが混合しています。現に主人から「幼い頃将来の夢について聞かれるのが苦痛だった」と聞かされもしました。理想を言えば、息子の足でしっかり道を見つけて欲しい。そしてその先にお坊さんという答えがあればな…というところです。何はともあれ、夫婦揃って後ろ姿を気にしながら日々精進したいなと思うばかりです。息子と共に、というより息子に負けないようしっかり成長したいものです。

こじま あゆみ

滋賀県出身。キリスト教(カトリック)を熱く信仰する家庭で育つ。6人兄弟の長女でクリスチャンネームはマリア。 2014年春、お坊さんと恋愛結婚しお寺に嫁ぐことに。現在名古屋市にある真宗大谷派・開闡寺(かいせんじ)の若坊守として日々奮闘中。京都の老舗木版画店「竹笹堂」の元店長。