暮らしと火

なかなか眠れない夜に、布団のなかで小さい頃の記憶を辿っていました。
何となしに映し出されたのは「火」にまつわる数々の思い出でした。

幼い頃毎日のように遊びに通った近所のお婆さんの家は、週1くらいのペースで家庭ゴミを庭で燃やしておられ、その様子を眺めたり、一緒に水をかけて火を消したりした思い出があります。
小学校では秋になると芋掘りがあり、焼き芋ができるまで、積み上げられた落ち葉からじわりと煙が上がる様子を皆でじっと眺めました。学校の研修でキャンプに行った時、一人ずつ蝋燭を手に持たされ、静かに燃える自分の炎に夢中になるあまり、前髪を焦がしてしまいました。家にアンティークの大きなアルコールランプがあって、父親がたまに部屋の明かりを落として灯してくれました。田舎育ちの私は中学校までヘルメットを被って田んぼのあぜ道を突っ切るのですが、野焼きの光景とあの独特な香りは今でも鮮明に覚えています。日曜日に行く教会では、祭壇の上で蝋燭の炎が揺れていました。

火は危険も伴いますが、生活の源。
暮らしを支える頼もしい存在。
おそらくそれぞれの胸の内に幾つもの火の想い出があると思います。
でも、今の子は一体どうなんでしょう。

今は学校から焼却炉が姿を消し
薪で焚いたお風呂に入る人も減り
家のコンロはIHに変わり
炎を見る機会がめっきり減ったように思います。

暮らしと共に「火」の姿が変わった今
少し前の人がナイフで鉛筆を上手に削ったように
今、キャンプで炭の火おこしを簡単にできる人はどれくらいいるのでしょう。

最近はお仏壇を守っていけなくて処分する人も多いようです。
そのうちお線香も蝋燭も特別なものになってしまうのでしょうか。

お寺に嫁いで蝋燭の炎は「仏様の智慧」だと教わりました。
神社の火祭りしかり、お寺でも教会でも「火」は大事にされているような気がします。

「火」との関わり方、考えていきたいなとふと思いました。

こじま あゆみ

滋賀県出身。キリスト教(カトリック)を熱く信仰する家庭で育つ。6人兄弟の長女でクリスチャンネームはマリア。 2014年春、お坊さんと恋愛結婚しお寺に嫁ぐことに。現在名古屋市にある真宗大谷派・開闡寺(かいせんじ)の若坊守として日々奮闘中。京都の老舗木版画店「竹笹堂」の元店長。