お彼岸

春は牡丹餅で、秋はおはぎ。
暑さ寒さも彼岸まで。

結婚前まで「お彼岸にお墓参り」という風習が無かった私はそれくらいの事しか知りませんでした。
恥ずかしながら「此岸」「彼岸」という言葉をちゃんと知ったのはついこの前の事です。

クリスチャンとして育った我が家は「この日にお墓参り」という決まりがなく、墓地は草刈り(教会で呼びかけがあって行ける人が参加)で行くか、両親の気まぐれに付き合ってお墓参りする程度でした。そもそも個人的にはお墓参りを重要視していなかったのが事実です。毎日神さまにお祈りしている時は、神さまの元へ行った亡き祖父母らを自然と意識していたし、ふと大好きな祖母の事を思い出した時は「あっ、今おばあちゃんが私の事見てはるわ。ふふふ。」と解釈していました。そんなわけで「日々想いを馳せる」という事自体がお墓参りと何ら変わりが無い事だと思っていました。

さて、お寺に嫁いでお彼岸を迎えました。
向かった先は墓地のある「平和公園」。この平和公園というのは見渡す限りお墓のオンパレードで、その広さ東京ドーム31個分だそうです。空襲で燃えた名古屋の街は、戦後の区画整備によって市内のお寺の墓地が1箇所に集約されました。それが約280のお寺の墓地からなる平和公園です。たしかテレビのケンミンSHOWでも紹介されたように思います。(名古屋の道路がだだっ広いのはこの区画整備の産物)春は2000本の桜で華やぎ、暖かい日はBBQをする人もいる良い雰囲気の墓地で、私も主人と付き合っているときにドライブで訪れました。

お彼岸中の平和公園は大混雑で、かなりの賑わいです。お参りに来る人も多ければ、「これだけ一気にお坊さんを見る機会はない!」というくらい、あちこちでお坊さんの姿を目にします。さて、私はというと住職・旦那と一緒に自坊の墓地エリアに向かい、2人は来られたお檀家さんから順にお墓の前でお経をお勤めしていきます。私はお墓の入口でお檀家さんから墓地管理費を受け取り、周りの景色を楽しみながら世間話をして過ごしました。初めて見たお彼岸の光景はやっぱり新鮮なものです。あちこちで次々に上がるお線香の煙。そして耳を澄ませるとお参りの方の賑やかな声に混じって遠くから別のお寺さんのお経が聞こえてきます。お参りに来られている方も老若男女さまざまです。お孫さんを連れて大人数で来ているご家族もあれば、妊婦さんの姿もちらほら見かけました。その光景を見ていて「命がずっとつながっているんだなぁ」と感じる事ができました。

「隣のあの人もこの人も、脈々と受け継がれた命で生かされている」

当たり前のことですが、日々の生活で意識できる機会は少ないのかもしれません。
お参りに墓地まで足を運び、見渡せば見知らぬ人たちもそれぞれお墓に向かって手を合わせているというお彼岸の光景は、これから先もずっと大事にしていくべき原風景だと考えさせられました。

こじま あゆみ

滋賀県出身。キリスト教(カトリック)を熱く信仰する家庭で育つ。6人兄弟の長女でクリスチャンネームはマリア。 2014年春、お坊さんと恋愛結婚しお寺に嫁ぐことに。現在名古屋市にある真宗大谷派・開闡寺(かいせんじ)の若坊守として日々奮闘中。京都の老舗木版画店「竹笹堂」の元店長。