お寺の玄関事情

お寺は「預かりもの」だなぁとつくづく感じます。

結婚当初なかなか慣れなかったのが「玄関をあまり使わない事」でした。
もちろん玄関の無い家ではありません。まず自坊の本堂までの入口は3つあり、それ以外に庫裏(寺族の住まい)の玄関が1つあります。お寺だけあって、どれも広い玄関で沢山靴が並べられます。しかし普段の私の生活ではどの玄関も使っていません。うまく説明できませんが、渡り廊下のガラス戸からいつも出入りしています。外には飛び石が配置してあるので、おそらく建物の設計時点でそういう計画だったのでしょう。でも初めは「なんでこんなところから侵入するんだろう?」と謎に思っていました。寺族以外に、よくお寺に顔を出す親しいお檀家さんたちもそこから「こんにちはー」と挨拶しながら入って来られます。暗黙のルールでここは「身内の玄関」のような位置づけです。(結婚前に初めて挨拶に訪ねた時は玄関から通されたのですが、2回目以降はこの窓から。それはそれである意味、身内扱いされている!と嬉しくなったのですが)

庫裏の玄関は、いくら庫裏であっても「お客さんやお檀家さんなど、大切な人を招き入れる場所」という意識が何となく根付いています。そのため家族の靴は1足も出ていないし、いつも綺麗に整えられていてお花が活けてあります。私にとってお寺というのは家でもあるけれど、完全に家ではありません。

その他にも「お寺に嫁いだら、もしや広い畳の上でゴロゴロできる?」
と密かに目論んでいた私ですが、そんな事をしている家族もいなければ、思いつく家族もいませんでした。今となってはそんな事を考えていたのが恥ずかしいほど。失礼なハナシ、思ったよりも寺族はお寺を私物化していないんだなぁという事実に驚きました。

ほかに驚いた事といえば、何といっても電話の回数。
結婚前、私はとあるお店の店長として働いていたので電話番には慣れていたのですが、お店と変わらないくらい毎日電話が鳴り響きます。お檀家さんからのお参りの日程確認の電話しかり、時には家族がたった今亡くなったという電話も入ります。また企業と同じように営業の電話も沢山かかってきます。いつ何どき、どんな電話が舞い込んでくるか見当がつきません。普段お勤めでお寺を出たり入ったりしているお坊さんに対して、家にいる事が仕事の坊守は電話近辺を死守!という感じです。なので、例えば知り合いが遊びに来てくれたとして家族全員で家の外にお見送りをしたとしても、5分も経たぬうちに電話の事が気になってしまいます。(もちろん子機も最大限活用していますが…)それくらい電話とはお友達になってしまいました。

お寺はお檀家さんからの預かりもの。
亡き人を含め、色んな方の想いが詰まった場所。
これからもお預かりする者の一員として努めてまいります。

こじま あゆみ

滋賀県出身。キリスト教(カトリック)を熱く信仰する家庭で育つ。6人兄弟の長女でクリスチャンネームはマリア。 2014年春、お坊さんと恋愛結婚しお寺に嫁ぐことに。現在名古屋市にある真宗大谷派・開闡寺(かいせんじ)の若坊守として日々奮闘中。京都の老舗木版画店「竹笹堂」の元店長。