おさがり

「お下がり」と聞いてあんまり良い気分がしない。少し前までは。
兄弟の一番上として育った私は、妹や弟に比べればお下がりはうんと少ない方だったが、それでも従妹のお下がりの服なんかを着せられていた。「お下がり」という言葉、それは言い換えると「お古」とも言える。妹はいつも「お姉ちゃんは新しい物ばっかりでズルい」と口を尖らせていたのも覚えている。

つい最近私が「お下がり」という言葉を耳にしたのはお盆のとき。
暑いお盆のシーズンはお寺にお檀家さんがランダムにお参りに来られるので、本堂は常にエアコンを利かせて、セルフサービスの冷たい麦茶とコップを置いた机をスタンバイ。基本的には出入り自由なお寺なので、みっちり本堂の様子を見張っているわけではないが、おくり(坊守)の私には一つ役目がある。それが「お土産用の麦茶を手渡す」というミッションだ。この麦茶は事前にお寺で大量に購入して用意する、自坊のお檀家さんからすればお盆でもらう定番のお茶っ葉なのだ。

ある日、師匠であるお義母さんから「お檀家さんが来られたら、これ(麦茶)お下がりです!と言ってお渡ししてね」と言われたのです。私は意味が分からず「それって失礼じゃないですか?」と聞き返したのですが、お寺育ちのお義母さんにはその意味がうまく伝わっていなかったようで「みんなそう言えば分かるから」と返されただけだった。

お寺で余っていたわけではなく、わざわざ買ったものなのに…とモヤモヤ思っていた数日後、たまたま読んでいた仏教関連の本でやっと答えを見つけた。そうか、仏様のお下がりなのかと。信心深いご家庭ではお客さんからの頂き物や、子供が持ち帰って来た成績表を一度お仏壇にお供えして、それから味わうのが当たり前かもしれない。クリスチャンとして育った私はお供えの文化が家庭になかったのでピンとこなかった。(お供えといえばお墓参りのお花程度)でも一旦お供えしてから頂くと、それは何だかやっぱり有難い。すべてのものは仏様から賜った命であることを忘れないために、お陰様の気持ちを再確認できる気がする。

本来はスーパーから買ってきたものもお供えしてから…がベストなんだろうけど、毎日そう面倒なことはできやしない。そう思うと、朝にお供えする御仏飯の習慣はますます大事にしたいなぁと思ってしまう。今までネガティブにしか使っていなかった「お下がり」という言葉がグッと愛しく聞こえる。次回はお下がりの代表格ともいうべき御仏飯について触れてみます。

写真:お盆の時期に本堂に常備しているお檀家さんからの差し入れの飴玉。そしてお下がり。

こじま あゆみ

滋賀県出身。キリスト教(カトリック)を熱く信仰する家庭で育つ。6人兄弟の長女でクリスチャンネームはマリア。 2014年春、お坊さんと恋愛結婚しお寺に嫁ぐことに。現在名古屋市にある真宗大谷派・開闡寺(かいせんじ)の若坊守として日々奮闘中。京都の老舗木版画店「竹笹堂」の元店長。