出家か美術か ー川島秀明とのインタビュー

川島秀明さんという芸術家をご存知でしょうか。抽象的で、瞳だけが強烈な印象を与える人物画を中心とした作品を描かれるアーティストですが、東京造形大学を卒業した後、美術界に入る前の期間、比叡山延暦寺で2年間、天台宗の修行を経験されたという異色の経歴の持つ方です。

今回、東京藝大の国際芸術創造研究科に所属されるJeremy Woolsey(以下ジェレミー)さんが、この川島秀明さんへのインタビューをご寄稿くださいました。川島秀明さんがどうして仏門を叩かれたのか、また創作活動に仏教がどのように影響したのか、そして修行を経てどのような変化があったのかなどについてお話を伺ってくださっています。


Finger 2006

川島秀明を初めて知ったのは、東谷隆司氏のNAKEDを読んだ時だった。川島さんは、美術活動を本格的に始める前に、二年間比叡山で修行を受けて、僧侶になるかどうか迷っていた。結局、美術家を目指すようになり、脱人間的な自画像で評価を得ることになるが、彼の本格的なキャリアの出発点は、その修行だと言ってもよい。だとすれば、この修行をどのように理解したらよいだろうか。東谷さんは、川島さんの修行の動機について、やや皮肉を交えながら、以下のような仮説を立てている。

Scarlet 2006

この社会で生きていくことは苦痛だ。お金儲けのために戦争を起こすやつらがいるし、弱いものを傷つけて優越感にひたるのが三度の飯より好きなやつらがいたるところで手ぐすねを引いているし、マスコミは大衆の差別意識を煽動し見かけだけで人を裁こうとする。国家は市民に番号を付けて支配を企み、企業は利益のみを追求し世の中の幸福なんてこれっぽっちも考えていない。この社会で永遠に交換され続けるだけの憎しみやストレス、ずる賢い人間の思惑や資本主義の汚いルールを交わることなく過ごしていけたらどんなに幸せだろう。(NAKED)

この文章を読んだ時、川島さんの美術活動と修行の動機に関して、私の中でいくつかの疑問が生じた。彼の修行を、ある種の現実逃避として捉えるなら、彼は何から逃げようとしていたのか。東谷さんが書いた地獄のような社会状況なのか、それとも他のものなのか。また、修行することで、それらから離れることができたのか。そもそも、その修行を単なる現実逃避に過ぎないと、どうして断定できるのか。現実逃避でないとしたら、川島さんの修行はどのような意義を持っていたのか。そして、そのような修行経験は彼の美術とどのような関係を持っているのか。これらの疑問について、川島さん本人に直接話を聞きたいと思い、去年の八月にようやくインタビューをさせて頂いた。

川島氏とのインタビュー

修行の詳細に関して

ジェレミー(以下、J) 今日は、インタビューにお応えして頂きありがとうございます。いろいろお聞きしたいことがありますが、まず、修行の経験に絞っていきたいと思います。修行のきっかけに関して教えて頂けますでしょうか。

川島(以下、K)比叡山に行ったのは、当時一般公募というのがあったから。それで、僕は応募して、入ったんですけど、僕が入る年にたまたまオウム事件が起きちゃった。だから、当時のその日本人の認識として、その出家っていうことはすごくカルトなものとして言葉が広まっちゃって、で同じタイミングで僕たちも比叡山に入ったものだから、僕もその時、NHKのドキュメンタリーに出た。なぜ今出家をするんだみたいな。出家がブームみたいな。

J ということは、偶然でしたね。応募したのはオウム事件の前だった。
K 前。天台宗はずっと前から、そのプロジェクトを準備していたんだけど、たまたまその年に起きちゃった。

比叡山行院 1997

J じゃ、わかりました。それをはっきりさせて良かったと思います。もうちょっと、天台宗との関係について説明してもらいたいと思いますが、特に、なぜ天台宗のほうに出家することにしたのですか。
K それも偶で、先に言ったみたいに、一般公募っていうものは、そもそも歴史上ないこと。お坊さんって募集するものじゃない。それを初めて天台宗がやるということをニュースで見て、もちろん仏教に興味があったというのはあるんだけど、当時は何しているのかわからないみたいな、ふらふらしていた生活だったので、ダメ元というか、ちょっと応募してみて、受かったらやってみようみたいな軽い感じでした。

J 天台宗については詳しくなかったということ?
K ある程度は知っていましたけれども、むしろ、考え方というか、思想的にそれこそ曹洞宗とか浄土真宗とかその方がどちらかというと好きだけど、天台宗はもともと道元様とか親鸞様に行ったし、募集しているというから。

J それで、修行に関して、お聞きしたいのですが。
K 一般公募で入ったのは5人だったんですけど、だから、まったくの素人集めて、すごく本を読んで仏教のことを先生より詳しい人のような人もいたけど、なかには漢字もなかなか読めない学生もいて。すごい幅があって一応何も知らないという前提で修行生活が始まったから、ほとんどは下座行というか、小僧修行、まぁ、掃除したり、草むしりしたり食事を作ったりそういう本当日常的を粛々とやるっていう感じ。

J 僕が知っているかぎりで言えば、比叡山は厳しい修行で有名ですけど。
K うん。その厳しい修行というのは、その際入って最初から、やらせて貰えなくて、ある程度偉くなってからやる。

比叡山釈迦堂 修了式 1997

J  ということは、その2年間の間、そんな厳しい修行をやりませんでしたね。
K まぁ、厳しいといえば、厳しい。朝から早く起きて、全ては管理されているから、その意味で厳しいですが、いわゆる比叡山で有名な厳しい修行はやっていない。

J  難しい質問かもしれませんが、ご自分の性格が変わったな、と思ったことはありましたか。
K 2年間そうやって、比叡山にいた後降りてきて、それこそ、東谷くんとか昔の友達と会うと、全然変わっていないねと言われたね (笑) 。だから、性格的に変わっていないと思いますけど、ただ、比叡山に行く前は、本当に大人の言うことを全然聞かなくて舐めていたという感じ。比叡山にいる間、さんざんそれを怒られて、僕的にちょっと大人になったつもりなんですけど。だから、普通の人は学校を出て、サラリーマンとかになると、会社の中でその訓練がされると思うんですけど、僕はそういうことをぜんぜんしていなかったから、ある意味で、その比叡山は出世間、というか、俗から離れるというんだけど、むしろ比叡山がその俗世間っていうルール、その言葉遣いとか。

J  比叡山の二年間に関する最終的な感想を教えてもらっていいですか。
K 僕は、二年間に比叡山にいた間、それこそ寝るところも食べ物もまるまるお世話になっていて、今、お坊さんをやっていないもんだから、ずっと単純に後ろめたいというか、あんなにやってもらったのになぁというか、感謝もしつつ、今こうして美術のほうに来てやってきてはいるんだけど、ずっと何かーー

J 借りがあるんですかね。
K そう。で、単に借りだけではなく、その時のことがずっと自分の中に残っていて、その何か宗教的な、哲学的なっていうそんな高い次元のことじゃなくて、もっと日常生活におけるような、心構えみたいなもの。


インターネットのお寺

J 遡ることになりますが、高校生のころから、奈良美智さんとの関わりがあったと思いますが、それはどんな感じでしたか。
K それはね。美術大学を受験するときに、高校生がドローイングとかを勉強する、普通の学校とは別の、塾に行くんだけど、その時の塾の先生を奈良さんがやっていて、というのが最初の出会い。

J そして、これもメールで書いてくださったと思うんですけど、一回は比叡山から降りて、その後は仏陀をキャラクター化した作品を作って投稿するために、見立てとしてのインターネット寺院を作られましたね。それに関してお話いただけますか。
K 2000年頃なので、ホームページはすごくシンプルなものだったんですけど、よくイラストレーターの人が自分の作品を見せるようなウェブサイトがあるじゃないすか。あれのバリエーションだと思っていただければいいんですけど。例えば、そのトップページにくると、お寺の入り口みたいで、クリックすると、お香みたいのが出てくるアニメみたいのがあって。で、それを通ると、自分の作品が見られるみたいな。まぁ、そのような……

Pieta 1998

J 掲示板とかはあったんですか。
K ありました。

J いわゆる参拝者はお互いに連絡を取り合えましたか。
K うん。取れましたよ。だけど、雑談みたいなもんだったね。

J 直接に仏教に関係がなくてもいいということですか。
K まぁ、でも、やっぱり僕ぐらいの若い世代はそれこそ親戚が死んだときぐらいお寺と関わるだけで、仏教ということはあまり、それこそオウム事件みたいなもんがあったから、ちょっと「仏教って何だ」というふうに、にわかに興味を持った人も多かったかもしれないけど、そんなに皆よく知らないから、仏教の哲学を理解しろっていう感じじゃなくて、もっとポップな感じだった。もともと、僕のキャラクターじゃなくても、例えば、お地蔵さんというのは普通日本にキャラクターみたいにしてあるわけです。そういうアイドル、偶像的なものとして遊んでいた。

J 軽い感じでやっていたということですね。
今と比べると、川島さんはその頃、もっと直接的に仏教的なテーマを扱っていたと思いますが、仏陀をキャラクター化することを通して何か達成したい目標がありましたか。
K そういう仏教に興味を持つ人が増えればいいなぁと思いましたけど、ただ、本当に軽い感じでした。僕は、その当時1997年に比叡山から降りてきて、その先のお寺の話、2000年ぐらいの話なんですけど、まだその時正直、比叡山に戻るという気持ちは多少残っていたもんだから、あまり美術をやっているという感じもなかったし、未練も残っていた。まぁ、それは今でもある。

凛凛庵 1999


美術と仏教の関係性

J なるほど。話が変わりますが、東谷さんとの関係に関してお聞きしたいです。東谷さんの批評を読んで、かなり曖昧な感じがして、川島さんの作品と出家時期との相関関係を肯定しながら、否定しているからというか。具体的に、文章を引用しましょう。

「川島秀明の絵に、二つの相反する意識を感じる。なるべく、慎み深く人目を憚ろうとする自戒の念と、過剰なまでに自らを主張したいというわがままでナルシスティックな欲望だ」(NAKED)

その意味では、修行と絵描きという二つが川島さんの中である程度矛盾していると理解したらよいでしょうか。というのは、修行は自分の欲望を抑えるためにやるものですが、逆に、絵を描くのは自分の欲望を示すためだと思うので。
K この東谷くんの文章は、彼は僕のことをよく知っているからだと思うんですけど、すごく僕も的確だと思うんですが、本当にその通りだなぁと思って。だから、例えば、仏教の修行をしたいと思っている理由の一つは、やっぱり逆に自分のナルシズムみたいなものがすごくつらくてその自意識過剰から、自由になりたいと思っていてだから、仏教の修行はある意味でそういう自我みたいなものを殺していくようなもので、それに対する憧れみたいなものがあるんです。でも、一方で、やっぱり僕自身はそういう修行がよくできない、要は抑えられないわがままな部分がすごくあって…。

J 川島さんの場合は、修行が破壊的な行為として、というか自分を破壊させるためというか…。

Me 2010

K エゴというものはやっぱり苦しいものだから、このことはもっと楽にならないかなと思って。で、仏教はそういうこと、その自我をよく説いている教えだから、だから、結局文脈的に僕が確かに修行に失敗して、今絵を描いているみたいになるんだけど、最近やっぱりまた思うようになったのは、作品を作ることってすぐそういう意味で、自分の自意識をすごく強く意識させられて、もういやだなと思って、また比叡山に帰りたいと思う時もありますよ。だけど、実際に行ってみたら行ってみたで、そこに一つの組織があって、やっぱりそこに一つのコミュニティーがあって、それなりに面倒くさいこともあります。だから、結局、エゴか自意識との闘いみたいなことは別にお寺でやろうが、ここでやろうが、問題として同じものがあります。

J もうちょっと作品に関して具体的に説明して頂きたいですね。2010年を境に、というかその前に自分の魂を投影しているわりと抽象的な絵を描いていたと思いますけど、それを境に、具体的な個性をもっている絵、特に女性の顔を描かれ始めましたね。これに関して、サイトのバイオグラフィーの文章を借りると、「2010年から、どこまでも内省的に自己を見つめた果ての、肥大化しすぎた自意識を一度ニュートラルに戻したいと、その目は他者へ向けられます」と書かれていますね。それは、なぜ女性に集中し始めましたか。
K いや、女性ばかりじゃないですけど、女性が多いですけど。

J  なるほど。それでも、なぜ興味が「他者」へ変わったんですか。
K やっぱり、ずっと同じような顔が超歪んでいる絵ばかり描いていて。

J それは川島さんの自己を投影していましたか。
K 結局、なんでそのようになったかというと、たとえば、人を書くときに、どういう服を着ているのか、どういう髪型なのか、そういうことをやっていくと、これは社会的な属性を表すとか、男なのか、女なのか、そういう要素を排除したいと思って、できるだけ、単純な絵をしたら、ああいう風みたいな、ただ顔がボーンってあるような絵になって…。

J まるで、魂まで還元するような試みのようですね。

Up 2005

K そう。そして、そのことを繰り返していくと、本当に自分の自意識の中で、息苦しくなっちゃって、ふと、一回もうそれは自分っていうものを外して、普通に人を描いてみたいと思うようになって、で、その後たまたま震災とかがあったから、ずっと自分の部屋で、鏡を見ているという状況から、テレビを見たり、窓側の外を見たいという風になった。

J 繰り返しになりますが、この前おっしゃった、「自己意識があまりに激しくて苦しい」ということはずっと昔からあったと思います。川島さんの作品からは、美術制作に伴う自己表現への抵抗を感じますが、それは仏教とどのような関係を持っていますか。
K だから、すごく矛盾したものがずっとあって、僕は、できたらあまり自分ということを意識せず生きていきたいですけど、作品を作って発表するということは、すごく自己を意識せざるをえないじゃないですか。これは自分でやっていながら、すごく矛盾していると思っていて、それが作品の中で、ためらいみたいな形として出ちゃうかなと思って、だから、絵を描くことに対して、アンビバレントというものがあるんですね。

J メールで書いてくださったように、美術にも宗教にも引け目を感じるということがあるんですが。
K 結局どっちにも、100パーセントいっていないというか、どっちも中途半端みたいな。

 

まとめ

結論美術界が、弱肉強食であることは、今さら言うまでもない。日本を代表する美術家の村上隆は、美術の現況と美術家たちがこの現況に取るべき態度を以下のように捉えている。

芸術家は、欲望とどうつきあうのかを強く打ちださなければならないのです。ものが欲しい。カネが欲しい。権力が欲しい。女にもてたい。出世をしたい。欲望の強さは芸術制作の邪魔にはなりません。むしろ問題は日本の芸術家に強烈な欲望がないことです。(芸術企業論)

美術界における西洋との非対称的な関係を未だに乗り越えようとしている日本人の作家の立場や日本の美術市場の未熟さなどから考えると、村上氏の言うことにも一理あるように思われる。 かといって、美術家たち皆がこのような激しい欲望を制作活動の動機にしているとは限らない。
仏教の文脈で考えてみよう。釈迦が説いた四諦のなかの集諦は苦の源泉を煩悩(言い換えれば欲望)に見出すことにほかならない。つまり、欲望=エゴ=苦である。この意味においては、美術家は成功しようと欲を出せば出すほど、苦しむしかない。川島秀明の出家の動機は、インタビューから明らかになったように、自分表現という欲望や肥大化したエゴと戦うためであった。ただ、これを英雄的な行為として捉えてはいけない。むしろ、凡庸ではあるが真っ当な希望と考えたほうがいい。なぜならば川島さんにとってのリアリティはその凡庸さの中にしかないからだ。ただその凡庸さを宗教家として求めていくのか、美術家として求めていくのか。凡庸さを追究するうえで避けることのできないこの問題は、川島さんの抱え続ける不安をよく表しているだろう。

 


いかがでしたでしょうか。

川島さんの強烈な自己への思いと、仏教の自己から離れる教えの中での揺れ動きがとても印象的なインタビューでした。しかし、川島さんが「結局、エゴか自意識との闘いみたいなことは別にお寺でやろうが、ここでやろうが、問題として同じものがあります。」とおっしゃられるように、これらの問題はお寺や仏教に関わる人間、あるいは芸術に関わる人間にだけに当てはまる問題ではありません。この社会を生きる私自身の問題である、ということを的確に示されているようでした。

仏教を通過して作品を作り続けられる川島さんの今後の活動にも、注目したいですね。

彼岸寺

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