『お寺は青空がかたちになった場所』山下良道さんインタビュー(後編) <松本紹圭>

インタビュー前編からの続きです。(このインタビューは本を読んでからのほうが理解しやすいと思いますが、読まれたことのない方は特に、前編からお読みください)

なお、このインタビューの後に、山下先生が御岳山接心の最中の説法で、このインタビューに関わるお話しをされました。私のインタビューの解説から、聖フランチェスコの祈りにまで触れられていて、今回のインタビューの内容をさらに深く理解することができます。一法庵のウェブサイトで配信されているPodcast説法(2014/08/15)「一粒の麦もし死なずば」から誰でも聴けますので、ぜひそちらも併せてお聞きください。

それでは、ますます盛り上がるインタビュー後編をお楽しみください!

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英語でも語れて初めて仏教はアップデートできる

【松本】 ところで先生は「誰が瞑想するのか」という問いが大事であり、その先に主客がぴったり一致した青空の認識があると説かれています。その点で、主客のあいまいな日本語という言語について、どういうふうに思われていますか? たとえば、英語なら「I see the mountain」というふうに、主語と対象をはっきり分けた二項対立的な表現で語るわけですが、日本語だと「山が見える」というふうに、主体を消しながら他力的なニュアンスを込めて表現することもできてしまいます。それは、青空を説く上で、アドバンテージになりますか?

【山下先生(以下、敬称略)】 いや、そこはどうかな。そういう面もあるけれど日本語の曖昧さは問題も大きいです。日本語だと、何となく雰囲気で伝えられちゃうじゃないですか。英語だとサブジェクトとオブジェクトをはっきり言わなければならないですよね。日本語だと、なんか曖昧に終わっちゃうんだけど。『アップデートする仏教』って、日本語でしゃべっているけど、私と藤田一照さんだったら、あの内容を英語でしゃべれるんですよ。実は今、友人のアメリカ人にあの本の英訳作業 をしてもらっています。英訳はそれほど難しくないでしょう。もともと、心の中で英語でしゃべっていることを、日本語にしているから。あの本が日本語で分かりやすいと言ってもらっているのは、私と藤田一照さんが、 アメリカに開教師として行って英語で鍛えられているからです。たとえば「山が見える」ということを英語で説明できたことが、私と一生さんにとってものすごいアドバンテージだったなと。私のふだんの話も、英語で話そうと思えば話せることしか言ってないし、ふだんは日本語で話しているけど、日本語しか分からない人にしか通用しない話にはしていません。

【松本】 なるほど。そう考えると、山下先生と藤田先生の『アップデートする仏教』は、日本仏教をローカル宗教から世界宗教、メタ宗教へと脱皮させる取り組みとも言えますね。メタといえば、インドに「沈黙の聖者」と呼ばれるラマナ・マハルシというグルがいますが、その人の本で、「宗教の根本的な問いは、私とは誰か?という問いに尽きる」と書かれていました。それがとても印象深くて、私は念仏の教えについても、「私とは誰か?」という問いをもとに聞いてきたような気がします。でもそのおかげで、山下先生の雲と青空のお話しがすんなり理解・共感できました。

【山下】 そうですね。日本のお坊さんが檀家さんなどの日本の読者に向かって語っている文章って、英訳するの絶対に無理だよな、と思えるようなものが多いですね。厳しく言えば、雰囲気だけの文章。それをむりやり英語に直してもね。今、日本人に話すにしても、ふつうに教育を受けた若い人には、それでは届かない。もともと仏教ってそんなに曖昧模糊としたものだったか?といえば、全然そうじゃないわけで。ただ、仏教1.0だけだとロジックすらはっきりしなかったわけですよ。2.0を通って3.0になったときに、色即是空、空即是色がきちんと論理的に言えるようになる。

仏教徒3.0はキリスト教徒3.0でもある

【松本】 受け手の視点からすれば、何宗だとか何教だとかいうことより、自分の認識の立ち位置をどう転換できるかが問題ですよね。あ!今、気づきましたが、そうするとあれですね、仏教3.0運動は、宗教3.0運動とも言えますね。雲ではなく、青空に立つ。そのことを英語でも日本語でも、特定のローカルな文脈に依存せずに語れるようにするというのは、同じように「仏教」という枠組み自体にも、囚われないということですよね。仏教も3.0まで来ると、「仏教」という枠組みからも自由になっていくというか。仏教3.0においては、それを求める人の側は、「仏教徒3.0」へアップデートされるというより、「人としてのあり方3.0」というか、「世界観3.0」というか、メタ宗教的になっていきますね。

【山下】 そうです、仏教徒3.0になったら、同時にキリスト教徒3.0にもなっちゃうんですよね。 今度、私の本の熱心の読者であるカトリックの神父さんが一法庵にいらっしゃるのですが、一緒に黙想リトリートをキリスト教の黙想の家を使ってやろうという話になっています。実は今、私のワンダルマ・メソッドを聖書の言葉だけで説明しようと試みているんです。その神父さんは良心的なカトリックの人で、祈りっていうのは何なのかを、ずっと考えてきた人です。「神様って誰?白いおヒゲのおじさん?」「祈っているのは誰?」っていう問いについて、キリスト教の人もピンとこなくて悩んでいました。これに対して、ワンダルマ・メソッドの視点から、聖書の言葉で語れます。それはもう、仏教3.0とイコールのキリスト教3.0でもあるんです。

【松本】 私は今日、山下先生に「仏教徒」3.0についてお話しを聞いてみたいと思って一法庵へやって来ました。先生が説かれる3.0的な仏教を自分の人生の道としたいと思っているふつうの人が、実際どのようなあり方で生きることができるのかと。そして、ここへ来る前、私なりに「仏教徒」3.0について考えてみたのですが、雲から青空へ認識が180度転換する「3.0」レベルまで行けば、もはや仏教徒かキリスト教徒かというセクト的なものの見方自体が意味をなさなくなるのだろうと。つまり、仏教3.0における仏教徒は、もはや仏教徒というよりも、「青空を仏教系アプローチで見ている人」ということになります。同じように「青空をキリスト教系アプローチで見ている人」もいるわけです。よく、最近の仏教界で「超宗派」がトレンドとして話題になります。個人的に、私の中ではもはやどのお坊さんがどの宗派に属するということは「娑婆のこと」に過ぎないので、宗派であろうと超宗派であろうと、その人の出身地とかと同じレベルの意味しか持たないのですが、それを押し進めると、所属としての「宗教」もそうかもしれませんね。「宗教はつまるところ、娑婆のこと」っていう。面白いことになってきました(笑)

【山下】 禅宗から来た人だろうが、念仏から来た人だろうが、クリスチャンだろうが、そんなことに一切関わらず、青空は理解できます。かえって、同じ仏教徒でも仏教2.0や仏教1.0の人のほうが分からない。どうしてもセクト主義になってしまいます。 自分が所属する宗派が自分のアイデンティティになって、どうしても普遍的な場所に出てゆけないのですね。その普遍的な場所に来てしまえば、そこへどこから来たかはもう関係無いです。

日本のお寺は3.0に向かっている

【松本】 さて、最後の質問です。仏教3.0、そして「仏教徒」3.0についてお話しを伺ってきましたが、それを踏まえて「お寺」3.0についてはどう思われますか? 以前、私の好きな法然院の梶田住職にずばり「お寺とは何ですか?」と質問したことがあります。そのとき梶田住職は、「自らが生きる意味を問う場所」と答えられました。本当にその通りだと思います。そこへ私なりに言葉を付け加えるならば、「お寺とは、自らが生きる意味を問い、生きているという経験を取り戻す舞台環境である」とも言えると思います。実は、そのように語られるお寺は、仏教寺院でありながら、すでに仏教という枠組みを超えたメタ宗教の場として定義されています。もしかしたら私も、無意識のうちにすでにお寺というものを、お寺3.0的な捉え方で見るようになっていたのかもしれません。自らの生きる意味を問う人、生きているという経験を取り戻したい人なら、「出身地」としての宗教に関わらず誰にでも開かれた、この世界内の止まり木のような存在に、日本のお寺がなればいいなと。そんなことを願いながら、未来の住職塾をやっています。

【山下】 世間は圧倒的に雲なわけですよね。ほんのちょっとだけ青空を見たとしても、見失ったり、疑ったり。青空の見方をどう実現していくか、分からなくなるんですよね。お寺はそういう人間が集まって、お互いに智恵を出す場ですね。お寺っていうところ自体は、かたちがあるから雲なんだけれども、「青空がかたちをとる」っていうこともありえるんですよね。青空が雲として顕現した場所、そういう場所としてのお寺を作っていく。そもそもお寺って、青空がかたちになった場所だったわけじゃないですか。雲が裂けたところから青空が見える、その裂け目の場所がお寺です。 現在は一法庵も小さくて、今日ご覧になったように坐禅会もヨーガクラスも人が入りきらなくなりつつあり、ほとんどパンクしかけています。今後は仏教3.0に共感してくれる人たちに協力を仰いで、豊かな自然のある静かなところにもう少し大きな場所を作りたいと思っています。 そこに来れば青空を誰もが実感でき、その実感を自分の人生のなかにしっかり着地させられるような場所ができたらなと思っています。

【松本】 山下先生、ありがとうございました!

インタビュー前編はこちら:http://www.higan.net/ebn/2014/08/post-20.html

一法庵のウェブサイト:http://www.onedhamma.com/

彼岸寺 編集部

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