釈徹宗さん「住職論」インタビュー(松本紹圭)後編

釈徹宗先生インタビュー、最終回です。
とてもとても、大切なことを聞かせていただきました。
“釈住職”の「住職論」がここに極まっています。
お坊さんにも、お坊さんでない人にも、絶対に読んでいただきたいです。

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【松本】 ちょっと一般論になりますけど、お寺を取り巻く社会環境の変化と言いましょうか。 都会の方から押し寄せてくる変化などはありますか?

【釈】 ひとつは今までなかった習慣、例えばお盆参りやお彼岸などの仏事がやって来たということがあります。今までここで暮らしている人たちは、真宗が強い地域なので、そういうのがなかったんですけど。それに、むしろ若い人がお墓参りなどに関心を持っているようです。

【松本】 東京のハロウィンみたいですね(笑)。

【釈】 お墓参りは以前よりも熱心になっている感があります。ある種、都市部でパッケージ化されたコンテンツが地域にも波及してきて「お盆参りもやっているし、ご先祖も大事にしています。これでいいでしょう」という事態になってきました。

葬儀に関しても同様の事情です。昔はご近所で集まっておにぎりや煮物を作ったりしたのが、会館でパッケージ化された葬儀をされるように変わってきましたね。この地域ではもともと葬儀も法事も、お寺ではなく自宅でやるのが主流でした。それが次第にお寺を会館のように使う傾向となっています。

【松本】 今後そういう流れがこの地域でさらに広まっていくのでしょうか。

【釈】 広まるかもしれませんし、もっと形態が崩れる前の過渡期かもしれません。
今までは法事っていうのは人の手がかかるものでした。親戚が沢山やってくるので食事を用意しないといけないとか、布教使さんが来ているからこんな準備をしないといけないとか。そもそも高齢者の知恵を借りないと、作法がわからないものだったんですね。それがだんだん必要なくなってきているわけです。むしろ会館やお寺を使って、料理も仕出し屋さんから取るとかどこかへ食べに行くとかすれば、自宅で準備しなくてもいい。さらに、親戚も呼ばなくていいんじゃないか、普段のつき合いもないし、となります。とにかく儀式の一連がパッケージ化してきて、そういうパッケージを「購入」するという感じになります。地域差というものがなくなって、お葬式もどこでも一緒になっていきます。そもそも葬儀や法要を含めた「死者儀礼」というものは、地域コミュニティをベースにしてできあがっているでしょう。仏教の教義でできている部分は意外と少ない。基盤そのものが思想や教義ではなく、大部分は地域の習慣で成り立っていたわけです。しかし形態を均一化することによって、依って立つところがなくなってしまいます。地域差がつぶれると、基盤がない。

また、パッケージ化された葬儀に、我々僧侶もやすやすと乗った面があります。便利だし、楽ですし。パッケージ化された葬儀は、短期間で広まりました。しかし、地域差がなかったら、思ってたよりも「葬儀の依って立つところがない」わけです。結果、「自分らしい葬儀をしたらいいんじゃないか」とか、あるいは「葬儀しなくていいんじゃないか」となってしまうのは、当然の帰結ですよね。

【松本】 パッケージ化が進んで均一化されると、地域の形態の危機が訪れるということでしょうか。

【釈】 そうですね。同時に行為様式や宗教儀礼の危機でもあります。行為様式の力っていうのは、現代人が思っているよりも強いんです。行為様式が「生きる力」を支えているということころをちょっと甘く見ているんじゃないかと思います。

そういえば、松本さんの活動も勘違いしている人って多いと思うんです。住職塾とかマネジメントとか言うと「行けばパッケージ化されたコンテンツが手に入る」と思っている人もいるでしょう。でも聞いていると、全然そうじゃないということがよくわかります。

【松本】 たしかに「未来の住職塾」も一見すると均質化しようとする側にあるようにも見えますね。

【釈】 均質化する側の用語を使っておられますからね。実際はそうした言葉をつかって換骨奪胎しようと考えておられるのがよくわかりました。そもそも近代文明自体が均一化・同一化の性格を持っていますよね。近代化されたところはアフリカでもアメリカでも同じ光景が広がっていますよね。インフラ整備されて病院があって学校があって。近代化というのは、いわゆる文化差をなくす装置でしょう。統一規格でやったほうが効率がいいという考えでやっている。僧侶もそうした流れに乗ってきましたけど、少なくとも宗教の領域は、その方向ではいけないだろうというのを提示していかないとだめでしょうね。

【松本】 それこそまさにお坊さんの仕事ですよね。特に日本の場合。

【釈】 そうです。日本の場合そうした役割を僧侶が担ってきましたよね。すごいスピードで変わった方が良い領域もたしかにあるとは思います。政治や経済はもしかしたら変化に敏感でないといけないのかもしれません。しかしすごいスピードで変化させたらいけないものもいくつかあって、教育や宗教や医療というのがそういうものでしょう。これらが社会をいちばん下で支えていると思います。社会を本当に支えているのは早く変化してはいけない領域のものなんだけど、すごいスピードで変化していくものが社会を支えているという錯覚が世の中を覆っているところが具合が悪いですね。そのあたりのポイントは、お寺を運営していたらときどき見えることがあります。

【松本】 変化・スピードに抵抗していく際の「よすが」としてのお坊さんであるためにはどういう立ち位置があるのでしょうか。古いものを守ろうというぼんやりとした意識は多くのお坊さんにはあるのでしょうけど、守るために何をしなければいけないのか。どこを変えてどこを変えないのか。世の中が変化しているのに「とにかく変化はだめ」と言うだけでは、無理があります。

【釈】 「とにかく変化はだめ」というのもムリがあるし、「とにかく世の中に合わせていかないといけない」というのも具合が悪いでしょう。松本さんが「未来の住職塾」でやっている取り組みが有効なんじゃないでしょうか。自分のお寺の特性を点検しようという手順、これは有効でしょう。自分が身をおいているお寺の特性や、自分自身の特性って、なかなか気づけないでしょうから。けっこう住職さんたちは、自分のところのお寺のやり方しか知らないから、たまによそのお寺の手伝いなんか行くと、えらい違うのにびっくりしたりするでしょう。お寺ってそれぞれ違いますし、地域によっても違いますからね。

【松本】 これから「未来の住職像」という学びの場でどんなスキルや物の見方が重要になって来るでしょうか。

【釈】 少なくとも社会がお寺や僧侶に公共性を要求していることは確かですよね。今までは公共性がゼロだったわけではなくて、地域コミュニティ内での公共性にとどまっていたんですね。それに関してはお寺ってけっこう頑張ってきたんですよ。内向きの公共性を発揮させることに関してはけっこう取り組んできた。でも、いま求められているのはそうではなくて、外部に向けての公共性です。内向きと外向きの公共性というふたつの車輪を回していかないと駄目でしょうね。

【松本】 そういうふたつの車輪を回すことができる住職になるために必要なスキルには、どういうものがあるでしょうか。

【釈】 ひとつは対話能力でしょう。内向きにしか通用しない言葉でしゃべっているばかりでは、公共性を担保できないですよね。数年前に日本仏教はずいぶんバッシングされたでしょう。経済誌なんかでも「葬式にこんなに費用がかかるんだったらおちおち死ねない」とか「戒名やお墓にこんなにお金がかかった」とか、批判の声が上がりました。

それが、東日本大震災を契機に、日本仏教への期待の言葉が出だした。婦人雑誌やバラエティ番組まで仏教の特集をしたりしていました。大震災で人々が不安になっていた時に、伝統的な知恵に耳を傾けようという姿勢があったからでしょう。今回はいつになく僧侶の活動が取り上げられました。実際は、阪神大震災あたりからかなり僧侶の皆さんは頑張っていたんです。奥尻島や新潟の震災の時なんかも取り組んでいました。あの積み重ねがあったから、東日本大震災ではいち早く僧侶たちが行動できたんです。阪神大震災が大きなエポックだったと思いますね。あれから各教団は少しずつ能力を高めていって、今回の活動につながった。それまではメディアもあまり取り上げませんでした。それが今回は積極的に取り上げてもらえて、高く評価されています。

このような経緯を見てもわかるように、明らかに現代社会は、宗教者やお寺や僧侶に公共性を求めているんですね。これからは、そこに呼応する能力も高めないといけないでしょうね。大震災による危機状態では、宗教や宗派の境界は一気にうすくなります。特に東日本大震災では境界を超える活動が目につきました。つまりさまざまな場面で対話能力が必要ということです。別の道を歩んでいる人とも共感できるような言葉を紡ぐ姿勢が大切でしょうね。

対話能力のスキルアップの一方で、内向きの話としては「行為様式を大切にすること」に注目しています。現代人が軽視してきた行為様式に、もう少し目を向けたいところです。このふたつが最初の一歩かなと思います。

【松本】 最後に釈先生が思い描く「未来の住職像」ということで、これからの若い僧侶の方たちにはどういう経験を積んだうえで未来の住職になってほしいと思われますか。

【釈】 私より立派な若い僧侶が大勢いるのを知っているので、えらそうに言えないのですが……。自分の経験から言うと、宗教性豊かな人と出会っていくことをお勧めします。そうしないとお寺で暮らそうという気にならない。お寺で暮らすというのは嫌なことも多いですから(笑)。
宗教性というのは共震現象みたいなものですから、自分一人では振動しません。誰か宗教性が振動している人の傍にいかないと、自分の中の共鳴板みたいなものが震え出さないです。だから、宗教性豊かな人に出会うというのが必要条件かな。十分条件ではないでしょうけど。ぜひ震動している人の傍に行ってシンクロすることで宗教性を成熟させてください。

【松本】 ありがとうございました。

(インタビュ–終わり)

→釈徹宗さん「住職論」インタビュー(松本紹圭)前編はこちら
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彼岸寺 編集部

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