6.アウシュビッツで考えてみる ~さるべき業縁のもよほさば~

アウシュビッツの風景

ドイツではテレビでいまでも頻繁にナチス時代に関するドキュメンタリー番組が流れています。私は時々そのような番組を視聴するのですが、いまだに白黒の映像の中で残虐な行為を働くドイツ人たちと普段親しくしている温厚なドイツ人たちが頭の中でうまくリンクしません。

5年も住んでいれば、過去にどうしてあのような虐殺が起きてしまったのかを理解できると思っていたのですが、正直なところいまでもよくわかりません。というか、長くいればいるほど、よりわからなくなってきているのが現状です。

遠くない昔になぜあのような惨劇が起きてしまったのか?

ドイツにいる間に一度自分の目で見ておかなければならないと思い、わたしはアウシュビッツを訪れました。 

アウシュビッツのゲート。“ARBEIT MACHT FREI” (働けば自由になる)と書かれる。

それは昨年の秋のこと。冷たい雨が強く降る中、アウシュビッツの入口をくぐると、“ARBEIT MACHT FREI” (働けば自由になる)というゲートがわたしを出迎えてくれました。(ゲートのBの言葉が逆さまになっていて、これは作成したユダヤ人のせめてもの抵抗だったと言われています)

アウシュビッツは近年来場者が急増しているため、ガイドツアーでなければほぼ内部に入ることができません。英語・ドイツ語のガイドツアーはもちろん数多くあるのですが、今回私は中谷剛さんという日本人のガイドさんにツアーをお願いしました。

中谷さんはポーランド人以外で唯一のアウシュビッツ公式ガイドに選ばれた方です。わたしは中谷さんと一緒に死の壁、ガス室、収容所などをみていきました。

アウシュビッツの囚人棟


ルドルフ・フランツ・フェルディナント・ヘス

約3時間に及ぶ見学の中で個人的に印象に残ったのは、当時のアウシュビッツ所長であったルドルフ・ヘスのエピソードでした。

彼は大量虐殺を先頭で指揮しながら、普段はアウシュビッツにある官舎で妻や5人の子どもたちと一緒に平和な生活を送っていました。彼の家庭(実際に住んでいた官舎)と殺害が行われたガス室の間には有刺鉄線の柵があるとはいえ、わたしの目測では百メートルちょっとくらいしか離れておらず、まさに目と鼻の先と言ってよい位置関係にありました。

彼は毎日ガス室で小さな子どもを含めたユダヤ人たちを大量虐殺していました。(ニュルンベルク裁判では250万人を殺害したとの証言を残しています)この密室にチクロンBとよばれる殺虫剤を送り込み、部屋の中に詰め込まれた人々は20分から30分ほど悶え苦しんだ末に亡くなったそうです。当時の話を詳しく聞きましたが、あまりの残虐さにとても人間の所業とは思えませんでした。

アウシュビッツのガス室

しかし、当時10歳にも満たなかったルドルフ・ヘスの娘は、家庭内の父について「世界一素晴らしい男性だった。 本当によくしてくれた」と証言しています。「ヘンゼルとグレーテル」をいつも読んで聞かせてくれる最高に優しいパパだったそうです。

現地を訪れなければわからないことがあります。わたしは「凄惨な虐殺現場」と「絵に描いたような幸せな家庭」の距離的な近さに衝撃を受けました。そして、「当時彼は子どもたちと一体どんな気持ちで生活をしていたのだろうか・・・?」という疑問がずっと心から離れませんでした。

ユダヤ人たちが履いていた靴


さるべき業縁のもよほさば

ドイツに戻ってネットで調べてみると、彼の娘は父(ルドルフ・ヘス)の人間性の素晴らしさを讃えた上で以下のような発言をしていました。

「父がやらなければならなかったのよ。 やらなければ家族がどうなっていたかわからなかったから。それに父は大勢の親衛隊員のうちの一人。 父がやらなくても代わりに誰かがやっていたでしょう・・・」 

このインタビューを読んだとき、

「さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまひもすべし」(様々な要因や条件が重なれば、人間はどんな行いもしてしまう)

という『歎異抄』の言葉が思い浮かびました。

親鸞聖人はその中で「自分の心が善いから殺さないのではない、また殺したくないと思っていても百人・千人を殺さなければならない業縁もあるのだ」ともおっしゃっています。

ヘスも別の時代に生きていれば、誰一人殺さず、優しい父親として家族とともに幸せに生きることができたのかもしれません・・・。

彼は死ぬ間際に以下のような言葉を残しています。

「世人は冷然として私の中に血に飢えた獣、残虐なサディスト、大量虐殺者を見ようとするだろう。けだし大衆にとってアウシュヴィッツ司令官はそのような者としてしか想像されないからだ。彼らは決して理解しないだろう。その男もまた、心を持つ一人の人間だったということを。彼もまた悪人ではなかったということを・・・」

彼は1947年にアウシュビッツ内の絞首台で処刑されます。実際に使用された絞首台にはしとしとと冷たい雨が降り注いでいました。

ヘスが実際に処刑された絞首台

 

「また同じことが世界で起こりうる」

わたしは6年間のヨーロッパ滞在中、アウシュビッツ以外にもクラクフ(ポーランド)やエルサレム(イスラエル)など実にさまざまな場所でホロコーストに関する展示を見てきました。そして、ヨーロッパの様々な都市を訪れた際には、街中にあるユダヤ博物館によく足を運びました。どうしてそれらの施設を訪れたのかというと、ユダヤ人がここまで虐殺されなければならなかった理由を昔からずっと知りたかったからです。しかし、いくらそのような施設を訪れても、そしてドイツに5年住んでも、これほどの大虐殺が起きた原因をよく理解できませんでした。

多くの人がこの壁の前に立たされ、銃殺されたという、死の壁

このホロコーストの問題に関して、ヒトラーやナチスの責任として簡単に片づける人々が現実には非常に多いと思います。しかし、実際はそれだけの問題でなく、当時ヨーロッパ全体に渦巻いていたユダヤ人への差別思想や嫌悪、そして国際情勢・宗教問題など複雑な問題が関係しています。ガイドの中谷さんもおっしゃっていましたが、このような大虐殺が起きた原因はいまだにはっきり解明されていないそうです。

「原因がよくわからないということは、またこれと同じことが世界で起こりうる

中谷さんのこの言葉が一番印象に残っています。アウシュビッツに実際に収容されていたヴィクトール・E・フランクル氏の著書『夜と霧』の中に

『人間とはガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ』

という言葉があります。

被害者も加害者も同じ人間です。

「私たちもこの先、縁によってどちら(被害者or加害者)にもなりうる」ということを常に肝に銘じながら、この問題について考え続けることがここで死を迎えた人々のためにできることではないか・・・とわたしは感じました。

皆さんも機会があれば、ぜひ一度この地を訪れてみてください。

江田智昭

浄土真宗本願寺派僧侶(布教使)。1976年 福岡県生まれ。 早稲田大学社会科学部・第一文学部東洋哲学専修卒、文学研究科(東洋哲学専攻)中退。 2007年より築地本願寺内の(社)仏教総合研究所事務局において、仏教雑誌『ジッポウ』、『親鸞の歩き方』(ダイヤモンド社)等の編集、「プロジェクトダーナ東京」の立ち上げを行う。 2011年~2017年までデュッセルドルフのドイツ惠光寺において、ヨーロッパ開教や日本文化を発信する事業に携わり、2017年7月より(公財)仏教伝道協会に勤務。