2.浄土真宗とキリスト教の微妙な関係

・教会税と教会離れ

ドイツの宗教といえば、中心はやはりキリスト教。

8000万人近い人口の約3分の2がキリスト教徒と言われています。2012年の連邦統計庁の調査によると、キリスト教のカトリック信者が2546万人、プロテスタント信者が2483万人。両者の数字はほぼ同じです。

わたしは2011年にデュッセルドルフに赴任してすぐに住民局で住民登録を行いました。役所に提出する用紙の中に「あなたの宗教は何ですか?」という質問があり、わたしは「役所がこんなことまで聞くのか……?」と思いながら、「仏教」と記入しましたが、もしここで「キリスト教」と書いてしまうと、自動的に教会税を納めなければならなくなってしまいます。

私たち日本人にとっては全く馴染みのない教会税。これはドイツ国内のそれぞれの州によって徴収され、州内の各教会に分配されます。つまり、ドイツでは税金によってキリスト教の教会を支えるシステムができあがっているのです。(教会税は所得税の8~9%の額になっています)

ちなみに私の知り合いの複数のドイツ人たち(お寺関係者を除く)に教会税について質問をすると、ほぼ全員が支払っていました。しかし、彼らの8割~9割は「普段全く教会に行かない」もしくは「クリスマスやイースターの時にしか教会に行かない」ようです。

以前、ドイツの雑誌シュピーゲル(「鏡」を意味する言葉だそうです)を読んでいると、「毎週もしくは時々日曜日に教会に行きますか?」というアンケート調査の結果が掲載されていました。

旧西ドイツ地域の調査では、1960年には60パーセントの人々が「はい」と答えていましたが、2012年には36パーセントまで減少していました。旧東ドイツ地域の結果はそこには載っていませんでしたが、社会主義時代の反教会政策の影響で旧西ドイツ地域よりも極端に無宗教者が多いのが現状です。

というわけで、わたしの知り合いのように「普段教会に全く行かない」もしくは「年に1度くらいしか教会に顔を出さない」というタイプの人々が現在ドイツでは主流となりつつあるようです。私が日本にいた頃は「お寺離れ」という言葉を散々聞きましたが、こちらでは同じように「教会離れ」が大変深刻な問題になっているのです。

 

・ドイツ人の仏教観

近年、キリスト教とは距離を置きたいというドイツ人たちが仏教に関心を持つケースが増えていて、そのような人が惠光寺に来られることが頻繁にあります。彼らは仏教というと、たいてい「ダライ・ラマ」、「瞑想」、「坐禅」という3つのイメージを持っています。

私は浄土真宗の僧侶ですので、個人的にはドイツ国内で一人でも念仏を喜ぶ人が増えればという気持ちがあるのですが、残念ながら簡単にはそうはいきません。「仏教に興味を持つ人々」=「キリスト教から距離を置きたい人々」という図式がドイツではほぼ成り立ちますので、一神教に近い要素(キリスト教に近い要素)を持った浄土真宗の教えに最初から飛びつく人はほとんどいないのです。

ドイツ人は一般的に「仏教の宗教性(信仰性)が薄いところ」、つまり、「仏教の宗教らしくないところ」に惹かれてしまうようで、もちろんキリスト教信者でありながら仏教に関心を持つ人々も当然いますが、彼らもたいていまず瞑想や坐禅を好んで実践する傾向にあります。

ネルケ無方師が『曲げないドイツ人、決めない日本人』という著書の中で以下のように述べています。

おそらく多くのドイツ人は、仏教を100パーセント宗教であるとはみなしていないのではないかと思います。ドイツ人の頭の中ではどちらかというと、仏教は自己啓発の分野に近い。もし東大で仏教を学ぶとしたら「インド哲学」という分野の中で、仏教を学ぶことになると思いますが、ドイツ人から見ても、仏教はインド哲学の中の、一つの哲学だという認識があります。何かを信じなくてはいけない、ということは特になくて「自分を探す、自分を見つける」、そういう哲学的な実践方法だと理解している人が特に多いのです。

これは私がドイツ人と接して常々感じていることと全く同じです。

・ドイツ人僧侶たちの苦悩

浄土真宗に関しては、現在メンヒェングラードバッハとベルリンの2カ所にサンガ(拠点)が存在します。こちらの僧侶や門徒の方々に話を聞いてみると、ほとんどの人々が最初チベット仏教やテーラワーダの教えなどに興味を持ち、瞑想や禅のグループへの参加経験を経たあとに浄土真宗の教えに行き着いたという経歴を持っています。(そして、浄土真宗のグループを経て、また別のところに行く人たちも当然います)

以前、あるドイツ人の浄土真宗僧侶と会話をしていると、「浄土真宗の教えをキリスト教の教義などに当てはめて解釈しようとする人々がたくさんいて困惑している」とおっしゃっていました。

彼自身は普段から浄土真宗の教義そのものを伝えようと熱心に努力しているのですが、さきほども書いたように浄土真宗には一神教に近い要素を包含していますので、教えからキリスト教や神話を連想して、そこから解釈してしまう人がいるようです。ドイツ人たちの頭の中心にはすでにキリスト教がインプットされていますので、どうしてもそれらが邪魔をするのだとか・・・。なかなか難しい問題です。

私は大学院時代、中国仏教を専攻していました。中国ではインドから仏教が流入してきた初期の頃、中国に存在していた老荘思想の言葉などによって仏教の教義を理解する風潮が生まれました。それは一般的に「格義仏教」と呼ばれていますが、当然のことながら老荘思想と仏教は完全に異なるもので、その解釈の仕方は正しくありません。

その後、中国に流入してくる経典の数が増え、翻訳のレベルが向上することによって格義というやりかたは衰退し、仏教をそのままの形で理解するようになりましたが、多くの中国人たちが仏教の教えをそのまま受け取るようになるまでにはかなりの紆余曲折があったようです。

現在、ドイツでは浄土真宗聖典すらまだ完全にドイツ語に翻訳されていない状況ですので、現地の思想や宗教(キリスト教)で解釈される事態が生じるのは当然のことなのかもしれません。

ドイツに浄土真宗の最初の門徒が誕生してから昨年で60年が経ちました。60年という年月は長い時間のような気もしますが、仏教が生まれてからの2500年近い歴史からしてみれば、ものすごく短い時間です。

日本から遠く離れた地に身を置いていると、私が九州のお寺に生まれて当たり前のように触れてきた念仏の教えは、無数の先人たちが現在のドイツ人僧侶と同じような大きな苦悩を抱えながら日本まで伝えてくれたものだったのだということを強く実感させられました。

江田智昭

浄土真宗本願寺派僧侶(布教使)。1976年 福岡県生まれ。 早稲田大学社会科学部・第一文学部東洋哲学専修卒、文学研究科(東洋哲学専攻)中退。 2007年より築地本願寺内の(社)仏教総合研究所事務局において、仏教雑誌『ジッポウ』、『親鸞の歩き方』(ダイヤモンド社)等の編集、「プロジェクトダーナ東京」の立ち上げを行う。 2011年~2017年までデュッセルドルフのドイツ惠光寺において、ヨーロッパ開教や日本文化を発信する事業に携わり、2017年7月より(公財)仏教伝道協会に勤務。