5.ドイツに来た理由 〜どこでもお慈悲の中〜

・ドイツに来た理由

ドイツにいると、「なぜドイツのお寺に勤めることになったのですか?」という質問をよく受けます。今回は個人的なことで恐縮ですが、ドイツに来ることになった経緯などを少し書いてみたいと思います。

私はドイツに来る以前、築地本願寺の中にある(一社)仏教総合研究所というところで働いていました。そこに勤務している時(2010年頃)、「デュッセルドルフのお寺に勤めてみませんか?」という依頼を仏教伝道協会(ドイツ惠光寺の母体の団体)から頂いたことが直接のきっかけです。

はるか昔のこと。(といっても20年ほど前。)私は大学の社会科学部でEU地域研究のゼミに所属し、その当時からドイツやヨーロッパに大変関心を持っていました。そして、いつかヨーロッパで仕事をし、生活してみたいというほのかな憧れを抱いていました。

といっても、僧侶というローカルな職業柄、当然実現するわけがなく、そんな昔の夢を完全に忘れてしまっていたころにヨーロッパ行きのオファーが突然やってきたのです。

オファーが舞い込んできた当時、私は複数の出版社との雑誌の出版事業、「プロジェクトダーナ東京」という傾聴ボランティア団体の運営、お寺の法務の手伝いなど様々な仕事を抱えていました。

そのような状況でしたので、突然ドイツに渡ってしまうと、周囲に大きな迷惑をかけることになります。ですから、当然多くの方々からドイツ行きを反対されました。

そして、その頃わたしはもう35歳になっていました。35歳。それまで一度も行ったことがないドイツにこの歳で渡って仕事するなんて無謀だ・・・とも自分の中で感じていました。

ドイツに行く or 日本に残る

私は非常に迷いました。日本に残留しようとも少し考えましたが、このような滅多にないオファーを無下に断ってしまうと、「自分が死ぬ直前になって、ヨーロッパに行くチャンスがあったのに・・・と必ず後悔するだろう」と思いました。

結局、今から振り返ってみると、あのときドイツに渡った理由はただその一点(「死ぬ間際に後悔をしたくない」)だけだったような気がします。

というわけで、かなり時間がかかりましたが、ドイツ行きを心に決めて、「築地の職場を辞める」と上司に伝えに行きました。このときの唖然とした上司の表情をいまでも覚えています。わたしは呆気にとられた顔を横目に意気揚々と自分のデスクに戻りました。

とりあえず上司に伝えはしましたが、実はこの時点でもまだわたしの心はほんの少し迷っていました。「本当にこの決断でよかったのか・・・?」と思いながら、椅子に腰かけて天井をぼーっと見つめていると、

……突然、大きな揺れが襲ってきました……

2011年3月11日。そう、その日は「東日本大震災発生の日」でした。奇しくも私はそんな日に、職場を辞めて、ドイツに行くことを伝えるという人生の決断を行っていたのです。辞意を伝えたのは地震発生の約1時間前のことでした。

その後テレビに映し出された東北の光景に私は愕然としました。想像を絶する映像がリピートされる画面の前で、「自分の決断なんて大したもんじゃない。ちっぽけな人間の短い人生、東京に残ろうが、ドイツに行こうが、頂いたご縁の中で自分なりに精一杯頑張れば良いだけだ」と心の底から思ったことをいまでも覚えています。

心の迷いはいつの間にか消えていました。

 

Long and winding ・・・

私の住んでいる家のすぐ近所にライン河という大きな河が流れています。”long and winding”という英語の表現がぴったりなゆったりとした河です。この曲がりくねったライン河に沿って小路が綺麗に整備されていて、私は時々その道をゆっくりなペースで走っています。

ここに住み始めてはや5年。迷いなくドイツに来たとはいえ、ライン河の流れを眺めていると、いまでもたまにふと「自分はなぜこんなところを走っているんだろう?」と不思議に思うことがあります。

私は福岡県にあるお寺の次男として生まれ、若いころからいろいろなお寺の住職さんに会うと、いつも「どこのお寺に入寺するのか?」としつこく聞かれていました。

西日本の地域は浄土真宗の信仰の篤い場所なので、福岡の多くの住職さんたちから「入寺するんだったら、ご法義の篤い西の地域ですよ、絶対に西のお寺さん!!」とかなり口酸っぱく言われたものです。

その住職さんたちはまさかその後わたしが「ドイツまで西に行く」なんて思わなかったでしょう・・・。人生の縁とはつくづく奇妙なものです。

京都女子学園創設に尽力した甲斐和里子氏の詩に、

「岩もあり 木の根もあれど さらさらと たださらさらと 水の流るる」

というものがあります。

川の水は岩や木の根にぶつかりながら、そこで止まることなくたださらさらと流れていきます。

私たちの人生も同じように多くの障害がたちはだかりますが、こだわりを捨て、川の流れのように生きていくことが大切だとこの詩では説かれています。

個人的にはこの詩のように、居場所や肩書にこだわることなく、信仰の篤い場所であろうがなかろうが、与えて頂いたご縁に感謝しながら、その場で自分ができることに全力を尽くすことが大切だと考えています。

 

・「どこでもお慈悲の中」

これまでに福岡・京都・東京・デュッセルドルフと居場所を変えてきました。そんな落ち着かない私の人生の中で一つ忘れられない出来事があります。

それはいまから約10年前(2006年頃)のこと。そのころ私は実家の福岡のお寺で法務のお手伝いをしていました。しかし、福岡を離れ、東京で働くことが決まり、そのことを知った近所の前住職さんがわざわざお餞別を持ってきてくれたのです。

小さい頃から大変お世話になっていた方だったので、わたしは厚くお礼を言って、後でお餞別の袋を開けたのですが、お金が入っていた封筒にこのような言葉が書かれていました。

「どこでもお慈悲の中」

この言葉を読んで心の奥底がほんのり温かくなりました。これはつまり、「故郷の福岡のお寺を遠く離れても、あなたは阿弥陀様のお慈悲の真っただ中にいるということを忘れないように」という私へのメッセージだったのです。

その方はまさかその後私がドイツに行くとは思っていなかったでしょう。しかし、この封筒は10年以上経ったいまでも捨てられずにドイツのカバンの中に大切に入っています。

「どこでもお慈悲の中」・・・人生の中で楽しい時、落ち込んでいる時、さまざまな状況でこの言葉がわたしの視界に入ってきます。そして、その都度心の中でこの言葉を反芻し、阿弥陀仏のお慈悲に想いを巡らします。

故郷から遠く離れること9500キロ。デュッセルドルフは浄土真宗の熱心なご法義地では当然ありません。しかし、私自身やヨーロッパの人々のお念仏の声を聴いていると、やはりしみじみ感じるのです・・・。

ここも「お慈悲の中」なんだ、と。

江田智昭

浄土真宗本願寺派僧侶(布教使)。1976年 福岡県生まれ。 早稲田大学社会科学部・第一文学部東洋哲学専修卒、文学研究科(東洋哲学専攻)中退。 2007年より築地本願寺内の(社)仏教総合研究所事務局において、仏教雑誌『ジッポウ』、『親鸞の歩き方』(ダイヤモンド社)等の編集、「プロジェクトダーナ東京」の立ち上げを行う。 2011年~2017年までデュッセルドルフのドイツ惠光寺において、ヨーロッパ開教や日本文化を発信する事業に携わり、2017年7月より(公財)仏教伝道協会に勤務。