透明ドリンクをお坊さんが飲むとこんなこと考える

最近続々と新たなフレーバーが増えており、紅茶にカフェラテやノンアルコールビールの登場などでも話題となっている透明ドリンク。ネットでもいろいろと物議を醸し出しておりました。

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そんな透明ドリンクですが、私も時々飲むことがあり、ふと考えてしまったことがありますので、今回それを書き留めてみたいと思います。

透明ドリンクとの出会い

私と透明ドリンクとのファーストインパクトはそう、1993年に発売された飲料「タブクリア」でした。透明でありながら、飲むとコーラの味がする不思議なこのドリンクは、まだ中学生だった私にとってはかなりの衝撃だったことを、今でも覚えています。しかし残念なことに、当時は先を行き過ぎていたのか、あまり人気が出ずに、すぐに無くなってしまいました。

次のセカンドインパクトは、20代後半の頃、イギリスに行ったときのこと。ミネラルウォーターにフルーツの香りが加えられた(でも甘くない)ものが売られていて、「これは日本でも発売して欲しい!」と思うほどの衝撃でした。後にそれらはフレーバーウォーターというものだと知ることになります。

そして数年前。さまざまなフレーバーが加えられた透明ドリンクが、日本にも登場。しかしそれらはフレーバーウォーターではなく、甘味が加えられた、ジュースのようなドリンクでした。ジュースのようなものが透明になっていると、なんだか体にも悪くなさそうだし、傍目にも水を飲んでいるようにも見えることから、罪悪感なく飲めるという印象があり、今日の大ヒットにつながっているようです。

そんな数々の透明ドリンク。私も新商品には必ずと言っていいほど手を伸ばしてきました。さまざまな風味が楽しく、また飲み心地もジュースほどしつこくないところが気に入っていて、特にそれらに疑問に感じることもありませんでした。そう、サードインパクトが訪れるまでは。

透明ドリンクが教えてくれたこと

透明ドリンクのサードインパクトとなったのは、某ミネラルウォーター系の「メロンクリームソーダ」でした。メロンクリームソーダと言えば、緑色の炭酸飲料に、アイスクリームが浮かべられたアレ。透明ドリンクにあの味を再現できるのかと半信半疑でしたが、飲んで確かめなくてはという謎の使命感にかられ、コンビニで購入。恐る恐る口にすると……!!!確かにあのメロンクリームソーダの味ではありませんか!透明なのに、飲むとメロンクリームソーダの味が口の中に広がってきます。目を閉じればそこにあるのは、逆円錐形のグラスに注がれた緑色の液体にアイスクリームが乗った姿。これは紛れもない、メロンクリームソーダでした。

しかし目を開けて見れば、そこにあるのは緑色をした飲み物ではない。透明な液体です。しかしそれを一度口にすれば、あの緑色の液体がどうしてもイメージされてしまいます。「これは一体どういうこと?」「自分がこれまで味わっていると思っていたものは、ただの概念だったのか?」と、しばらく私は混乱しました。

そしてはたと気づきました。これは、私がこの透明な液体をメロンクリームソーダに仕上げているのではないか、と。

どういうことかと言えば、まずメロンクリームソーダのような風味を構成するが加えられた透明な液体があります。それを私が飲むという行為によって、舌と鼻で、その味と匂いを感じ取ります。するとその刺激が、私の脳へと伝わり、私の脳はそれをこれまでの経験したものと瞬時に照らし合わせ、そして「これはメロンクリームソーダだ」と判断するのです。

しかし、視覚的には、そこにあるのはただの透明な液体です。目で受け取る情報からでは、メロンクリームソーダと判断できません。その味覚・嗅覚と、視覚の受け取る情報のギャップによって私は一瞬混乱してしまいます。しかし、味覚・嗅覚が感じ取った情報とこれまでの経験、そしてボトルに書かれる「メロンクリームソーダ」という情報によって、私の脳は、それをメロンクリームソーダと認識してしまうのでしょう。

しかしその透明ドリンクは断じて「メロンクリームソーダ」ではありません。もちろん、メロンの果汁や、メロン由来の香料が入っていることが推測されるので、限りなく私の知っているメロンクリームソーダに近いものであるとは言えることでしょう。しかし、メロンクリームソーダを形成する「クリーム」の部分が、明らかに欠落しているのです。それはつまりメロンソーダの要素があるものとは言えても、「メロンクリームソーダ」とは言えないのではないでしょうか。にも関わらず、私はそれを「メロンクリームソーダ」として受け取っています。

メロンクリームソーダではないものを飲み、メロンクリームソーダを感じる私。この現象はまさに、仏教が説く、私の認識作用が私の知る世界を生み出しているということを表しているのではないか、ということに思い至りました。

仏教の教えには、私の認識作用に関する事柄が説かれています。私には六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)という感覚器官があり、それぞれが六境(色・声・香・味・触・法)という対象を感じ取っています。

六根によって対象(色蘊:しきうん)を感じ、我々はそれを「◯◯である」と認識し(識蘊:しきうん)、そしてそれを「美しい」とか「美味しい」と感じ(受蘊:じゅうん)、さらには受け取った情報から記憶や体験を元にイメージを膨らませ(想蘊:そううん)、そしてもっと欲しいと手を伸ばしたり、あるいは嫌悪の念から目を背けるなどの行為(行蘊:ぎょううん)に繋がっていく。これは、仏教にある五蘊(ごうん)という教えです。

透明なメロンクリームソーダというものが成り立っているのは、実は私のこのような認識作用があって初めて成立します。我々がメロンクリームソーダと感じられるような風味と香りが、その透明な液体に加えられています。しかしそれは、我々がそう感じられるものであるということが前提になっているのであって、我々の感覚や認識作用なしには、あれはメロンクリームソーダとは成り得ないのです。

まさにそれは、これらの五蘊が仮に集まること(五蘊仮和合:ごうんけわごう)によって生じた、かりそめの現象でしかない、ということです。その条件どれが欠けても、そこに「これは透明だけれどメロンクリームソーダだ」という現象は発生しません。まさに、さまざまな条件が重なり合って生じるという、縁起の教えもそこから感じられるのです。

透明なメロンクリームソーダは私の姿

そんなかりそめの現象によって見事に成立している透明なメロンクリームソーダ。しかしそれは、実は私の姿でもありました。

仏教では、私の存在もまたかりそめのものであると説かれています。私が若い頃には、どうしてもそのことが受けいることができませんでした。なぜならば、現に私がここにいるからです。ここにいる私を指して、「かりそめ」、「幻」、「儚いもの」などと言われてしまうと、まるで私が全否定され、ここに存在する意味なんてないのではないかと言われているように感じられたのです。そのため私は10代の頃、仏教があまり好きではありませんでした。

しかし、仏教を学ぶ中で、仏教がいう「かりそめのもの」というのは、そういう意味ではなかったのだということが、朧げなから掴めてきました。それは、私もまたさまざまな条件、縁によって、たまたま今ここに在る、ということでした。何か別の縁に触れていれば、ひょっとしたら私は彼岸寺に関わっていなかったであろうし、僧侶ではなかったかもしれません。すでにいのちを終えていた可能性だってあるし、人として生まれてなかった可能性すらあるのです。

もしもの話をしてもしょうがないのかもしれませんが、今私が在るのは、たまたま、仮にいろんな条件が集まった一つの結果としてだけでしかないのです。諸行は無常で、常に変化の中にあるし、諸法は無我で、条件によってはどんな姿であってもおかしくないのですから、確固たる不変の「私」なんてものはいないのです。私というのは、そのくらい不確かな存在でしかありません。

透明なメロンクリームソーダが、さまざまな条件が仮に集まって成り立っているのと同じように、私もまた、膨大な条件がたまたま仮に集まって成り立っているに過ぎなかったのです。

そんな〈不変の確固たる「私」〉=「我」など存在しないのに、有るはずだと誤解して執着するから、苦悩する。だから執着してはいけない、執着から離れ、苦悩から離れようと教えてくれるのが仏教です。だからこそ、私の存在について「かりそめ」だとか、「幻」だという表現をしてきたのでしょう。縁によって私が表れ、縁が解ければ、私もまた同じように立ち消えていく。

それはちょうど、透明なメロンクリームソーダを口に含んだ時にのみ、その存在感が立ち表れて、また時間とともに消えていくかのようなものです。

しかしそれは、透明なメロンクリームソーダを「メロンクリームソーダではない」と否定しているわけではありません。縁によっては、透明であろうが、アイスクリームがなかろうが、私によってメロンクリームソーダは成り立つことを言っているのです。存在を否定するのではなく、縁によって存在が成り立つことを、仏教は教えてくれていたのです。

仏教の説く教えは、私を否定する教えでは決してなかった−−透明なメロンクリームソーダが、そんなことに改めて気づかせてくれたように思います。

透明なドリンク。それは、この私と同じ「空」の存在であった。そんなことを思いながら飲むと、また一層、味わいが深まるかもしれませんね。

 

日下 賢裕

不思議なご縁で彼岸寺の代表を務めています。念仏推しのお坊さんです。