祖母のはたらきの中に

4月22日。父方の祖母が往生されました。97歳、老衰だそうです。施設に入っていて、いつもと同じように朝起きて顔を洗って、ヘルパーさんが朝食の準備に10分ほど目を離している間に、静かに息を引き取られたのだとか。97歳。老衰、だそうです。

父は婿養子としてウチの寺に来たので、私と亡くなった祖母とは一緒には暮らしていませんでした。それでも小さい頃から何度も父の実家に連れて行ってもらい、いつもニコニコ「よう来なったの」と優しい福井弁で迎えてくれました。夏にはお手製の紫蘇ジュースや、村の特産であるスイカでもてなしてくれたことが、昨日のことのように思い出されます。父だけでなく、私にとっても、故郷を感じさせてくれる祖母でした。

通夜の前日には、親族のみが集まってお勤めをしました。私も妻と2人の息子を連れてお参りに寄せてもらいました。祖母は施設に入っていたので、ひ孫の顔を見せることはかないませんでしたが、最後のお参りだけでも連れて行けて良かったと思います。祖母には7人の子どもがいて、孫は22人。ほとんどがお寺と関わりがある孫たちで、祖母は生前、葬儀は孫達に、と言っていたそうです。その夜のお参りでは、私が調声(ちょうしょう:お参りをリードするお坊さん)を勤めました。

お参りの前後に、久しぶりに会ういとこ達と話をしていたのですが、おばあちゃんの孫もほとんどが結婚して、子どもがいて、ひ孫は何人になるかね?という話になりました。みんなで数えてみると、なんとその数39人。これからもう少し増える可能性もあるとかで、祖母一人のいのちのはたらきの広がりが感じられました。

そして祖母の思い出話にも花が咲きました。7人の子どもを育てるのに農作業にも精を出した祖母は、年とともに背中が丸く曲がっていたこと、そしてよくよくお念仏を申していた姿はとても印象深いものだったと、孫達皆が感じていたようです。今でも祖母のことを思い出す時、独特の節をかけて「なまんだー なまんだー」と口癖のように称えていた姿が浮かびます。

祖母の人間としての姿を目にすることは、葬儀の日をもって最後となりました。ひとまず、祖母とはお別れです。しかし、それで祖母との縁が切れるわけではありません。また、祖母のはたらきが、死によって終わるというわけでもありません。祖母がいてくれたこと、そのいのちのはたらきは、目には見えなくても、今なお私のところにしっかりと至り届いています。「なんまんだぶ」とお念仏を称えれば、そこに祖母の姿や声を思い出すでしょうし、祖母のことを思い出す時には、きっと「なんまんだぶ」と、お念仏となってくれることでしょう。そして7人の子どもと、22人の孫と、39人のひ孫と、それから先のいのちや、その周りの人たちにも、祖母のいのちのはたらきは間違いなく届いていて、どんどんどんどん、広がっていくのだと思います。

もう会えないことを思うと寂しいけれど、私は今でも祖母のはたらきの中にある。そう聞かせてくれる教えに出会えて、本当に良かったと感じています。

おばあちゃん。97年の長い長いご生涯。本当にお疲れ様でした。

なんまんだぶ なんまんだぶ

日下 賢裕

不思議なご縁で彼岸寺の代表を務めています。念仏推しのお坊さんです。