ふと「仏」について考える

お坊さんをしておりますと、漢字に触れるという機会が多くあります。お経は漢訳されたものですし、あるいは亡くなられた方に法名をつけさせていただく時にも、どんな字を使おうかなど、お経や漢和辞書と向き合ったりします。

そんなこともあって、時々漢字の成り立ちやどうしてこの言葉にはこの漢字が使われているのだろう?と疑問を感じることがあります。そんな中でも、ずーっと気になっているのが「仏(ぶつ・ほとけ)」という言葉。仏教にはこの「仏」という漢字が当てられ、お釈迦さま、ブッダ(buddha)は「仏陀」と音訳されています。音訳、つまり音に漢字を当てたということですから、「仏」という漢字にはそれほど意味はないのかもしれません。しかし、「ブッダ」という言葉には、「浮屠・浮図(ふと)」という漢字を当てることもあります。ところが今では「浮屠・浮図」という言葉はほとんど使われません。なぜ「浮屠・浮図」ではなく、「仏」という漢字が使われるのか。そこにはきっと「仏」という漢字に、仏教や仏さまを表すのに相応しい何かがあるに違いありません。

そんなことを考えだすと気になって仕方なくなるので、いろいろと調べてみました。まず「仏」という漢字は、元は「佛」の略字です。「佛」は「人」と「弗(フツ)」という偏(へん)と旁(つくり)からなる形声文字。「弗」という文字は、2本の棒に蔦が絡まった様子を表しているそうで、行く手を阻む状態や、はっきりと見えにくい状態を表しているのだとか。そこから「佛」には、「ほのかである、かすかである」という、「彷彿」に通じる意味があるそうです。そしてそこから転じて、その目の前を塞ぐものを「拂(払)う」という意味も加わったそうです。

そこから意味を考えるのであれば、人間には見通すことができない真理を、煩悩という複雑に絡んだ蔦を払い、ついに見通し、さとりを開くことができた。仏さまとはそういう存在だから、「佛」という文字を当てたのではないでしょうか。

そしてもう一つ、この「佛」という漢字には「補佐する、たすける」という意味の言葉としての用例もあるそうで、背負いきれないものを取り除き、負担を軽くするという意味があるのだとか。そこから考えてみますと、仏さまというのは、私たちの抱える苦悩を取り除こうとしてくださる存在であるから、「佛」という文字を当てたとも考えられます。

つまり仏さまという存在に、「佛」という漢字が使われているのは、自らの煩悩という目を覆っているくもりを取り除き、真実を見通すことのできた目覚めた者・覚者(buddha)であり、そしてまた、私たちの苦悩、あるいは煩悩を取り除こうとされる存在であるという意味が込められているからなのかもしれません。

他にも、「弗」には否定を表す意味もあることから、人を超えた存在であるという説や、「仏」は「仏陀」の省略と考えられがちだが、実は「仏陀」という言葉が見られる以前から「仏」という漢字一文字で「buddha」を表す表記がある、という説もあるそうです。

このように見ていきますと、やはり「仏」という文字をブッダに当ててあるのは、単なる音訳ではなくて、キチンとその意味内容も考慮されたのではないかと思わずにはおれません。あくまで推論の域を出ない考えではありますが、もしそうだとしたら、漢訳経典を編纂するということは、並大抵のことではないぞと改めて感じさせられました。

そして今回こうして「仏」という漢字と向き合えたことで、仏さまとはどういう存在であるのかということについても、今一度考えることができたように思います。漢字って、本当に奥が深いものですね。

日下 賢裕

不思議なご縁で彼岸寺の代表を務めています。念仏推しのお坊さんです。