「悪循環」を作ってみました。

最近ネットを見ていますと、「◯◯の悪循環」という画像が流行っているようです。元々は「薬物依存の悪循環」ということの周知のために宮城県が2010年に掲載した画像なのですが、どういうわけか昨年末頃からいろんなコラージュが作られており、ネットを賑わせています。
これを見ていて、みんな上手に作るものだなあと感心しつつ、「これは使えるんじゃないか!」と閃きました。そこで私も流行りにのって二つばかり作ってみたのが、今回載せてある画像です。

解説するのも野暮な気もしますが、まず一つは「煩悩の悪循環」です。煩悩は一言で言えば、「全てを自分の思い通りにできる」という心の奥底にある傲慢な誤解です。今さえ良ければ、自分さえ良ければと、全てを自分の思い通りにしたいという心から、様々な欲望が生じます。欲望は一旦満たされても、砂漠で水をのむようなもので、すぐにまた渇きに襲われ、欲望の虜になってしまいます(貪欲)。そして思いが満たされなければ怒り(瞋恚)、全て思い通りになどならないという真実に気づきません(愚痴)。そしてどんどん自分勝手な思いが強くなり、自分は常に正しく、絶対的な存在であると錯覚します。けれどそうであるはずもなく、そのギャップによってさらに苦しみが深まる。これが煩悩の悪循環です。

そしてもう一つは「輪廻の悪循環」です。死んでも生まれ変わることができる、という考え方は、死の恐怖や、自己存在の消滅の恐怖を和らげてくれるかもしれません。しかし、輪廻によって生まれ変われるのは人間の境涯とは限りません。人間以外の命となるかもしれませんし、地獄・餓鬼・畜生と呼ばれる境涯に生まれ変わるかもしれません。もし仮に人間から人間への生まれ変わりという現象があったとしても、人間の持つ煩悩に迷い、苦悩のいのちを歩まねばなりません。欲望が満たされることがあったとしても、生老病死の苦からは離れられず、輪廻が続く限り、その苦しみからは離れることはできません。生まれ変わりというと、なんだか運命的・因縁的で、こういう現象があるように感じたり望んだりする方もおられるかもしれませんが、仏教では輪廻は苦が継続していく状態としてとらえます。
仏教の基本的な教えは、この煩悩と輪廻という悪循環から離れようとする教えです。この二つの悪循環から離れた状態こそが、解脱であり、涅槃であり、仏と呼ばれる存在です。その方法は、この悪循環を断ち切るようにすると考えると良いかもしれません。例えば煩悩の悪循環をストップさせるためには、思い通りにしたいという誤った心を抑える必要があります。そのためには欲望を抑え、貪欲・瞋恚・愚痴を抑えていきます。それによって、強すぎる自己愛からも離れ、全て自分の思い通りにせずにはおれないという心から離れることができるのです。そしてこの煩悩から離れることができれば、生への執着、死への執着からも離れ、輪廻からも離れていくことができる。仏教ではそのように考えるのです。
もちろん、その実現はとても難しいこと。しかし仏教の教えは、最終的にはこの二つの悪循環から離れるための教えです。坐禅はもちろんこのやり方に沿うものですし、念仏は、煩悩から断つのではなく、往生浄土という輪廻を超える道をまず歩むことによって、最終的には煩悩からも離れていく、と考えると良いのかもしれません。
しかしなかなかこの二つの悪循環に今自分がハマり込んでいると気づかないのが恐ろしい所。まずは自分が、今この悪循環の中にいると受け止めることが、大切なのかもしれませんね。
日下 賢裕

不思議なご縁で彼岸寺の代表を務めています。念仏推しのお坊さんです。