路上の人におむすびを/ひとさじの会 吉水岳彦さん(2/3)

『路上の人におむすびを/ひとさじの会 吉水岳彦さん』インタビューの第2回です。

吉水さんは、幼いころから「お父さんのように子どもと遊ぶ仕事をするお坊さんになりたい」と思っていたそうです。大学・大学院に進んでからは、ひきこもりをする若い人たちの電話相談に参加したり、高校で宗教の授業を担当することもあったそうですが、ある時ふしぎなご縁の重なりに導かれるようにして、路上で生活する「おじさん」たちに関わることになります。

インタビューの前にお会いしたとき、吉水さんが言われた「出あう縁の違いが人生を変える」という言葉が心の底に深く落ちました。いつ誰に出会うか、どんな人と共に歩むか。「縁」って、人生を大きく動かすものなのに、ホントに自分ではままならないものなんだなぁと思います(よね?)。今回は、吉水さんが現在の「ひとさじの会」の活動をはじめるきっかけや、路上の人たちとの関わりのなかで思っておられることについてうかがっています(第一回はこちら)。

「結の墓」——路上の人との不思議な縁

 

——「結の墓」は、ホームレス状況にある人や身寄りのない人の共同墓だとうかがっています。子どもや若者の心の問題に取り組んでおられた吉水さんに、どうして「結の墓」のお話が持ち込まれたのでしょうか。

とても不思議なご縁が重なりで。もともとは「ひとさじの会」会長の原さんが、新宿中央公園の夏祭りで行われる、その年に亡くなったホームレスの方の追悼法要に呼ばれたことから、「NPO法人 自立生活サポートセンターもやい(以下、もやい)」とのご縁ができたんです。そのとき原さんは、みなさんが心から手を合わせている姿や、自分の唱えるお経を喜んでくださる様子にビックリしたそうです。
原さんとは大正大学で面識がありました。くわえて、全青協の神さんから「もやい」のことは聴いて知っていました。「結の墓」の話が持ち上がったときに、原さんは大正大学大学院の同級生の方で浄土宗総合研究所にお勤めの方に相談しました。相談されたご友人は「そういう相談なら吉水さんにしてみたら」と紹介してくださったのがきっかけで、月一回のお墓プロジェクトの相談に一緒に出るようになったんです。

——それまではホームレスの方との関わりは特にもっていらっしゃらなかった?

僕のお寺は、いわゆる山谷と呼ばれたエリアに入っているんです。今は地名が変わっていますが、昔の住所は山谷一丁目。近くの商店街には寝ているおじさんたちがいて、子どもの時には「汚いし怖いからおじさんたちに触っちゃいけない」「怠けた人なのよ」と教わるんです。私自身は、大人になってこうしたご縁をいただいて初めて、実際はそうじゃないということがわかりました。
「結の墓」のプロジェクトが始まってから、いろんな炊き出しの現場やパトロールに参加しておじさんたちと会っていると、同じ人間だなと思うんです。心いたらず、間違えることはわたしもたくさんあり、同じだと思います。毎日一生懸命働き、仲間のことを大切にする良い方もいらっしゃいますし、一体何が違うのかなあって。

私が出会ったおじさんで「もしお墓があってみんながそこに入るとわかっていたら、私はもっと幸せに生きていける。もっと一生懸命生きていけるんだ」と言ってくれた人がいて。そのおじさんは、いつもニコニコしていてすっごくすてきな人です。なりたくて路上生活者になったわけじゃないんです。子どものときに親を亡くして預けられて、厳しいなかで育ったけれどまじめに働いてこられた。しかし、他人にだまされたり、信じて頼るところがわからなくなって、気がつけばホームレス状態になっていたのだそうです。
おじさんたちのなかにはヤクザだった方もおられます。悪いことをするのは決してほめられたことではありません。しかし、良いご縁ばかりではないことがあります。本人だって悪いことをしなくてもすめばその方が良かったでしょう。誰しも幸せに生きたいものですし、良い縁にめぐまれて生活したいものです。でも、そうはなれなかったから、生きていくためにヤクザなったりももしているんだろうなと思うんですね。

——じゃあ、子どもの頃から身近にいた「おじさん」たちに違ったかたちで出会いなおすようなことでもあったんですね。

1960年代に山谷では何度か暴動があったので、近隣にはおじさんたちを嫌がる方もいらっしゃいます。暴動で火炎ビンを投げられたこともあるので、今でも決して良くは思っていないんですよ。ところが、住職に「小さくてもいいので境内にお墓を作りたい」と相談したら、「良いんじゃないか。何十年も置いてある五輪塔(墓石)があるから使ってもらいなさい」と言ってくれて。

実は、住職が若い時にはドヤ街でドヤ(簡易宿泊施設、ヤド→ドヤ)を経営しているお檀家さんがいて、ドヤで誰かが亡くなると連絡があったそうなんです。狭い部屋でお経をあげていると、みんな集まってきて「あいつはいいやつだったよな」と言いながらお念仏をして。ポケットの小銭をジャラジャラと金ダライに集めて「少ないけれどお布施です」と袋に入れて渡してくれて。欠けた茶碗に入ったキツイお酒を「飲んでいってくれ」って差し出されて、飲んで帰ってきたんだそうです。

だから、暴動のときに学生が扇動して「やれ!」みたいなことがあっても、おじさんたちが「このお寺は仲間のお経をあげてくれているお寺だからやっちゃいけない」と言って、うちはなにも被害がなかったという話も初めて聴きましたね。

縁の違いが人生を変える


——以前、「出あう縁の違いだけで生きざまが変わる」というお話をされていたのがとても印象的でした。もし、縁の重なりでつらい状況に陥ってしまったときにも、良い方向に変えていくことはできるんでしょうか?

たぶんそうだと思います。ただ、それにはきっかけが必要でしょうし、長くつらい状況にいた人は、まず自分を見てくれる人や信じられる相手が一人でも近くにいてくれるかどうかが重要ではないでしょうか。つらい思いをしているとき、同じような思いをした人と一緒にいると気持ちが通じ合うのは道理だと思うんです。それがたまたまヤクザということもあれば、自助グループのようなところと出会うかもしれない。いずれにしても、それなりに誰かを信じてみようという相手との出会いがなければ難しいかもしれないなと思います。

——信じてみようと思うきっかけになりたい、なろうと思うことも、お坊さんとしての吉水さんの目指すところなのでしょうか。

うーん、そうかもしれません。そうなれたらうれしいですよね。でも、必ずしも自分ではなくても、お坊さんではなくても近くにいる人を信じてみようと思えたらいいでしょうね。

——お坊さんではなくても、信じてみようという誰かになれたり、縁を良い方向に動かすきっかけになれるかもしれない。そこでは、お坊さんであるかどうかが問われないのかもしれないと思います。また、ホームレス支援や青少年の相談など、社会活動をしておられる方は必ずしも宗教者というわけではないですよね。お坊さんが社会活動に関わるときには、布教や教化ということがセットであるべきだと考えられますか?

ただ、僕を信頼して話を聴いてほしいと思っておられるだけなら仏さまのお話はしません。たとえば、普通に話をしていて突然「あなた、南無阿弥陀仏っていうのはね……」って言われても困りますよね。だから、無理に言葉で教え込もうとしたりはいたしません。でも、何も伝えないというわけでもありません。もし、相手の方が自然と聴きたいという気持ちになって「お浄土というところは本当にあるんですか?」と聞いてこられたら、僕は素直に自分の信仰を答えたらいいことだと思います。

つらいとき、傷ついたときには、人は自分を守ろうとして心にいっぱい棘を生やすんですよ。誰も近づいて欲しくないという気持ちになることも……。時折、その棘を自分で抜かなければいけないと考えることもあるでしょう。でも、一度生えた心の棘はすぐに抜くことはできないんです。そんなときに、棘がある自分のことをくさすこともせずにただそばにいてもらえたら、気持ちって変わってくるものだと思うんです。お坊さんとして教えをしっかりと受け止めておられる方は、自然とそういった接しかたができるんじゃないでしょうか。そして、こうした接しかたは、社会活動を行う上で肝要な姿勢であり、宗教者としての教化ともいえると思うんです。

……なんて、他人事のようにいっていますが、私も棘を生やしている一人です。でも、私の棘を抜いてくれるのは阿弥陀さまですから。トゲトゲしくなって「なんであんなことを言ったんだろう」「こんなつまんないことばかりでつらいなあ」と思ったりしたときに、阿弥陀さまは何も言わずに聴いてくれます。「なむあみだぶ、なむあみだぶ」って向き合うと、ただただ聴いてくださるんです。本当に如来さまとご縁のある身で良かったと思いますね。

——つらいときに、阿弥陀さまは「ただただ聴いてくださる」。吉水さんと阿弥陀さまはとてもいい関係なんですね。

あはは(笑)。僕にとって阿弥陀さまは大切な拠りどころなんです。自分が倒れそうになったりふさぎこんでしまうときにいてくださるから。杖や柱のように、掴んだりして助かったりするものだから、自然にその名前が口をついて出てくるんだと思います(第3回につづく)。

プロフィール

吉水岳彦/よしみずがくげん
1978年東京生まれ。大正大学仏教学部浄土学コース卒業。同大学 大学院仏教学研究科 仏教学専攻浄土学 博士後期課程単位取得修了 博士(仏教学)。現在は光照院にて副住職および淑徳大学非常勤講師の肩書きを持つ。大学時代から子どもに関わる仕事を志し、全 国仏教青年協議会の講座や研究会に参加していたが、ホームレス状況にある人や身寄りのない人の共同墓『結の墓』プロジェクトへの関わりから、ホームレス支 援を行うことに。現在は、浅草エリアの路上生活者に月2回おにぎりを配る活動などをする「ひとさじの会」事務局長として活躍。

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浄土宗 瑞雲山無量寿寺 光照院
創建は正保3年(1646)で、三代将軍徳川家光公の時代と伝えられる。浅草新寺町(現在の台東区松が谷)の専光寺2世住職であった静蓮社寂誉松屋上人の 開山。開山当初の光照院の位置は不明だが、松屋上人によって、開創からわずか4年後の慶安3年(1650)に現在の地(台東区清川)へ移転している。この 頃の山号は「摂取山」といったが、享保17年(1732)までに現在の瑞雲山に改めている。本尊の阿弥陀如来像は、かつて「火防せ如来(ひぶせにょら い)」といって信仰を集めた仏様で、戦争中も難を逃れ、今も静かに私たちの想いに耳を傾けてくださっている。元の本堂は第2次世界大戦で消失し、その後、 建て替え中に台風で流されてしまった。そのため、現在の本堂は新たに立て直されたものである。お寺の塀は、檀信徒によって極楽浄土の様相が描かれ、通行の 人の目を楽しませている。近年では、池波正太郎氏『鬼平犯科帳』第1巻1ページに登場することで知られる。

お坊さん、地域で生きる人、職人さん、企業経営者、研究者など、人の話をありのままに聴くインタビューに取り組むライター。彼岸寺には2009年に参加。お坊さんインタビュー連載「坊主めくり」(2009~2014)他、いろんな記事を書きました。あたらしい言葉で仏教を語る場を開きたいと願い、彼岸寺のリニューアルに参加。著書に『京大的文化事典 自由とカオスの生態系』(フィルムアート社)がある。