昔は『ジョビジョバ』今は”真面目な”お坊さん/木下明水さん

木下明水さんは、かつてはコント・グループ『ジョビジョバ』で活動し、俳優や放送作家として芸能界で活躍していた人です。ところが、華やかな世界から、墨染の衣をまとうお坊さんの世界へ転身した明水さんには、いったいどんなことがあったのでしょうか? お寺に生まれて「お坊さんになるなんて絶対無理!」と思っていた少年時代から、映画に憧れて上京し『ジョビ・ジョバ』で芸能界にデビューするとともに、なぜか龍谷大学で仏教を学び始めてしまった明水さんの半生をゆっくり聴かせていただきました。

「将来は住職になりたい」と言わされて

——お坊さんになってどのくらいになるんですか?

5年前にホリプロ(芸能事務所)を辞めて、それからはどっぷりお坊さんをしています。

——いつかはお坊さんになろうと思っておられたのでしょうか。

思ってなかったですね。姉と妹がいて、男は僕一人でしたから、小さい頃から跡継ぎだと言われてはいました。幼稚園のお遊戯会で「将来なりたいもの」を言わされたりするでしょう。僕は、母親に言われたとおり「住職」って言ったら保護者の方々に爆笑されて。周りが「野球選手」とか「パン屋さん」って言ってるのに、なんで僕だけ決まってるんだろうと違和感を感じたましたね。でも爆笑がとれて嬉しかった気が。

また、父を見ていて「こんなに面目に生きていくのは自分には無理だ」と思いましたねえ。僕は、いろんなものに興味があって、好きなものがあるとやってみないと気が済まなくて。高校生の頃、自分は好きな映画の世界に行きたいと思って東京の大学へ行くことにしたんです。なんとかしてお寺から逃げたいと思っていました。

——映画俳優になりたかったんですか?

いや、映画監督になりたかったんです。でも、大学で映画と演劇のサークルに入ったら「監督をやりたいなら一度役者をやってみろ」って先輩に言われて、やってみたら「あ、わりといけるな、俺いま光ってるな!」って思ったんです。それから、だんだん役者が面白くなって。結局、サークルの仲間で男6人の劇団を立ちあげて、それがうまくいきだすんです。

——それが『ジョビジョバ』なんですね。

そうです。『ジョビジョバ』は、リーダーのマギーの脚本や演出が優れていたこともあって、いろんな小劇場の動員記録を塗り替えていったんです。大学3年生の頃には、ちょこちょこテレビ番組やドラマに呼ばれるようになり、4年生の頃には6人中3人が「役者でやっていこう」と思っていました。

いちおう僕は、就職活動もしたんですよ。マスコミ関係の企業を受けて最終面接まで行ったのですが、面接官に「そのジョビジョバをやれば?」って言われて「あっ、じゃあ、はい」って(笑)。それで、みんなでやろうって決めて小さな事務所を作りました。そして研音という大きな事務所にスカウトされて、僕たちの事務所も研音に吸収され、卒業してすぐに芸能界デビューとなりました。すぐにレギュラー番組もいただいて。

ところが、ややこしいことに、母がどうしても「龍谷大学にも行ってくれ」と言うので、芸能生活と同時に龍谷大学で真宗学を学びはじめたんですよ。3年間も。2年目からは大学院に入ったので、なんとか週1日に講義をまとめて、朝6時の新幹線で京都に行って講義に出て日帰りで東京に戻るという生活で。コント番組の収録をやって、翌朝大学院に行くわけですから頭の中がごちゃごちゃしていましたよね。でも当時は、とにかく卒業すれば親も納得するだろうし、そしたらしばらく芸能活動に専念できると思っていました。

仏教は封印!のはずだったのに

——やはり、いずれはお寺に戻らなければと思っておられたのでしょうか。

大学院を卒業するときには、『浄土真宗聖典』を「もう絶対開かないしお念仏も称えなくていい。完全に封印して全部忘れてやる」くらいに思っていました。でもずっとモヤモヤしていたんですよね。お寺を継ぐのか継がないのか、自分でもだんだんわからなくなってきて。なぜ、お寺に戻ったのかは不思議なんです。いろんなきっかけがあったんですけど。

——いろんなきっかけが。

やっぱり頭の片隅にお寺のこともあったし、仏教を捨てられなかった。『ジョビジョバ』が2002年に活動を休止してから、いろいろ考えたんですよ。僕はその頃、俳優と放送作家をしていて、作家としてやっていくのもいいかなあとも考えていたのですが、オモシロくだらないことを脚本に書いていてふと思ったことがあるんです。10年後、歳をとって病気をしたり、家庭を作ったり、いろんなことにぶつかるなかで「俺は、笑いばかり考えて生きられる人間なのかなあ」って。けっこう悩むし、人生の問題にぶつかったときにこういうことばかりはできないタイプだろうなと思うと、仏教に興味を持つようになったんですね。「俺も必ず病にあい年をとり死んでいく」と思うと特に。また、妹の結婚が決まっていよいよ跡取りは僕しかいなくなったことや、本堂を再建することになったり、いろんな要素があって戻るきっかけになったんですよ。

——そういう風に思われたのは何歳の頃ですか?

31か32歳くらいかな? あとは、『ジョビジョバ』が活動休止して、研音からホリプロに移籍するときに4か月くらい熊本に戻ったことがあって。時間があってたまたま、深川倫雄和上の講義を聴きにいったら「お坊さんほど幸せ者はいない」とおっしゃったんです。「毎日お経を読んで、お経の勉強をさせてもらって、お経の中身をご門徒さんに話させてもらって、法事に呼んでもらってごはんも食べさせてもらって、お布施までいただいて。ご門徒さんが教えに出会った喜び、その法悦のなかに生きられる幸せ者だ」と。それが衝撃的でですね。ずーっとひっかかっていたんです。徐々にお寺に戻ることを考えだしたのは、ホリプロに行ってからかな。

——ホリプロではどんなお仕事をされていたんですか。

主に俳優ですね。あと放送作家や脚本の仕事をさせてもらったり、『オールナイトニッポンいいネ!』のパーソナリティもしていました。でも、ホントに僕は自分が面白いことしか楽しめないんですよ。『ジョビジョバ』をやっているときは、自分たちで面白いものを考えてできていたんだけど、一人になるとやはり色んなオーディションを受けにいかなければならない。真面目な舞台の脚本とか読んで、「これ、俺、楽しめるかなぁ?」と思ったことは確かです。また、『オールナイトニッポンいいネ!』で一日千通とかのメールをもらっていると、たまに僕がお寺の子だと知っていて悩みごとを書いてくる子もいたんですね。

手紙も色々もらいました。一度、弱視の子どもからファンレターをもらったことがあるんです。封筒はしっちゃかめっちゃかに文字が汚いし、手紙はすごく大きなマス目の原稿用紙に書いてある。最初分らずに「なんだこれ?」と読んでいくと、最後に「字が汚くてすみません。僕は弱視で」と書いてある。汚い字と思ったことをすまなく思った、なんだか自分が情けなかったですね。そしてその子に「負けずに頑張れよ」と簡単に言おうと思えば言えたんだけど、僕は少し仏教の勉強をしていたからそんな言葉は陳腐でしかないと思ったんですね。やはり、阿弥陀さまが「あなたの苦しみもちゃんと知っているんだよ」ということを伝えたいけど、「今の僕では伝えられない」と思いました。

お坊さんのためになる芸能界の教え

——お寺で育っておられたことで、阿弥陀さまが見てくださっているという気持ちは、自然とどこかにあったのでしょうか。

あったんでしょうね。これは、親にも言ったことがないんですけど、東京から里帰りするたびに、本堂でお勤めした後に仏さまにしゃべっていました。「もう、帰ってこないと思います」って(笑)。「おそらくもう帰っては来ないでしょうけど、お世話になりました、芸能界でがんばります」と、口には出さなくても心の中で思ったことも。自分で捨てたつもりが結局は捨てていない。やっぱり、ずっと教えの中にいたんだけど自分ではわからずにいたんでしょうね。阿弥陀さまは僕のことを捨てなかったんでしょうね。

——いろんなきっかけがあってお寺に戻るように向かわれたとおっしゃっていましたが、いつ頃から具体的な方向転換を考えられたんですか?

得度をしたのは20歳のときなんですけどね。親に無理矢理行かされました。住職資格は30代に、ホリプロに在籍しながら、マネージャーにお願いして10日間の休みをもらって取りに行きました。そのときには、マネージャーは「これは辞めるな」と思っていたでしょうね(笑)。布教使の資格も、ホリプロを辞めてすぐに取りました。で、妹の結納の一週間前に熊本に引き上げてきたんです。

——布教使の資格を取るには、法話の練習なども必要だったのではないでしょうか。東京で布教使資格のための勉強もしておられたんですか?

あまりしていなかったですね(笑)。ただ、法話にはタレントの経験がすごく役に立っているんですね。子どもの頃は、赤面症で人前に立つのが恥ずかしくて、黒板に書くだけで恥ずかしがっていたんですよ。芸能界に行ったことで、お坊さんのためになるようなことをたくさん学んで帰ってきたようなものです(笑)。

——芸能人の方もお坊さんも、人前に立つということでは共通するところがあるのかも。

ラジオや舞台の経験は、お坊さんとしても役に立っていますね。ただ、一番違うことは、西本願寺の研修では「うなづく人に向かって話したら話しやすいですよ」と教わるのですが、芸人は「うなづく人は聴いてくれているから、うなづかない人をうなづかせるにはどうしたらいいか」と必死になるところです。また、ラジオのプロデューサーに「しゃべるときは誰一人からも嫌われないようにしゃべって」と言われたことも役に立っているなと思います。これが、簡単なようですごく難しい。頭良さそうでも、バカっぽくても、上に立った言い方をしても、それを嫌いな人がいますよね。みんなが楽しく聴けるように、ということは芸能界で習ったこととして忘れないようにしています。

——みんなが楽しく聴けるように話すのは難しそうですね。

知識とか全部忘れてしゃべれって言われたんです。自分が知っていると知らない人をおいてしゃべってしまう。「あ、知らないんだ」っていう感じが出てしまう。ラジオのプロデューサーから聴いた話ですが、鶴瓶さんはマイクの前に立つときに全部忘れて立つらしいんですよ。「これをしゃべろう」と思うと、聴いている人を無視してしゃべっちゃうから、頭を真っ白にするそうです。そういったことは、今でも忘れないですね。

 

仏さまの教えはヒトゴトじゃない

——お坊さんは、法話の前に時間をかけて原稿を作られるようですが。

僕はあんまり(笑)。でも、作れば作るほど、考え方も伝えかたもうまくなることは確かです。でも、法話をするときは原稿のことはいったん置いて話していますね。舞台に立っていた癖で、人がどんな気持ちで聴いているかすごくよく気づいてしまうんですよ。だから、眠くなってきたなと思ったら面白い話をしたり、けっこうポロポロ話を切り替えることがあります。それも良し悪しなんですけど。

——法話ではどんな話をしていらっしゃるんですか?

楽しい話も入れながら、仏さまのお慈悲につながる話をします。阿弥陀さまという仏さまがいて、私たちの悲しみ苦しみをご存知である。必ずまっさかさまに落ちるような私を必ず救うという教えを伝えるんですね。浄土真宗では、「こうすれば生活が良くなるよ」といった方法的な話ではなくて「あなたを救う仏さまがいますよ」という話を伝えます。

——「必ず救う」ってスゴいですね。今の時代、そのお話を聴いてすぐに「そうなんだ!」と思うのは難しいかもしれないと思うのですが、現代においてどうしたら仏教の教えが伝わると思いますか?

僕自身がそうだったんですけど、たとえば「阿弥陀さまが救う」という話を聞いても、どこか他の誰かを救うような感じでしか聞けないんですね。学生の頃は、「生きとし生けるものすべてを救う」という話を聞いても「へえ、そんなすごい人がいるのかあ」くらいにしか思えなかった。でも、だんだん「あ、この私を救う話なんだ」と思うようになるんですね。阿弥陀さまは、どこかの誰かも救うけれども、この私が救われていくんだという風になっていきます。「あなたを救う」という阿弥陀さまの仰せをいつのまにか疑いなくそのまま聞いているんです。仏教を語るうえでも「あなた一人のための教えとして伝えていく」ということが、一番伝わるのではないかと思います。

——そういったお話をされていて、聴いておられる方の反応はいかがですか。

面白いですよ。二十歳くらいの女の子にお浄土の話をしたら「早く往きたい!」って言われて、横にいたお父さんが「おい、ちょっと待て待て!」って慌てたりとか(笑)。小学生の子どもたちも「君たちが泣くときは、仏さまも一緒に泣いてくれるし、君たちが苦しむときは、仏さまも一緒に苦しむんだよ」と話すと、「へえー!」って喜ぶし。「あなたの苦しみをご存知の阿弥陀さま」と聞き、よろこぶ方が沢山おられます。年配の方も若い人も。教えを音楽や落語、演劇などいろんな手法で伝えることもできるし、新しいやり方も僕は好きですけれど、一対一でちゃんと伝えるというオーソドックスな方法も好きだから、僕はそっちのほうも一生懸命やりたいですね。

——「面白いことしかやれない」とおっしゃっていましたが、お坊さんも楽しそうですね。

めちゃくちゃ楽しいですよ。子どもの頃から、好きなことばかりして嫌いなことはしない人間できて、何がご縁でお寺に戻ってきたのかわからなくなっていますけど(笑)。布教をするにあたって、教えを間違えないようにと始めた宗学研鑽も面白くて好きで好きでやっていますね。やればやるほど面白くてありがたいんです。

芸能界を辞めてから3年くらいは、映画やドラマやバラエティ番組を見れなかったですよ。大学の先輩や後輩、友達や知り合いが出ているのを見ると戻りたい気持ちが起きるだろうから。でも、だんだん見れるようになってきて、今はまたその気になれば何かできるだろうと思ってもいるんですね。お坊さんの仕事が忙しいからなかなか難しいけれども、『ジョビジョバ』を再結成しようよという話もよくしているし。ラジオや演劇も実はちょっとやりたいですね。地元の若いお坊さんを7人くらい集めて、「仏事の方法でこういう間違いがあるよね」というのを20分くらいの一幕芝居にして、笑いのある舞台を作ったこともありますよ。

オーソドックスなお坊さんを極めたい

——最後に、木下さんはどんなお坊さんになりたいかを教えてください。

布教と法務をして、ご門徒さんのところに行くオーソドックスなお坊さん。オーソドックスなことをどんどん真面目にやっていきたい。オーソドックスな方法にもそれなりの力があると思っているので。

子どものころは「あんな風になれない」と思っていましたが、今は父のように教えを伝えてご門徒さんが喜ぶ姿を見て生活するお坊さんが理想です。長年、ご門徒さんと一緒に生活をしているから、お通夜や枕経に行って「きつかったね」とひとことくらいしかしゃべらなくても、すごく重みがあるんですよね。お互いよく亡くなった方を知っているから。土地に根付いた、泥臭いお坊さんになりたいです。昔は有名な人間になりたいと思っていたけど、不思議なことに真逆のほうに行っています(笑)。

——真面目にオーソドックスにということと、面白おかしくコントをすること。何が共通点なんでしょう。

コントも真面目にやっていましたからね。くそまじめじゃないと、一ヶ月半も頭を付き合わせて「これが面白い」「これは面白くない」とか、「衣装や舞台はどうしよう」とかやれないですよ。今まで全部で400回くらい舞台に立って、テレビを含めると人前に立った機会はもっと多いと思いますけど、一回ごとに実はくそまじめにやっていましたからね。今も、人前に立つときは、セリフと一緒で、絶対に噛まない、つまづかない、失敗しないという気持ちがありますね。

『ジョビジョバ』は学生時代からの友達ですけど、飲みに行っても話すことはコントのことばかりでした。今は、お坊さん同士で飲みに行っても非常にまじめな話をしていますね。「お経のこのあたりってありがたいよね」とか、二次会や三次会までそういう話をしています(笑)。

——芸人さんとお坊さん、意外な共通点があるんですね。今後のご活躍も楽しみにしています!

坊主めくりアンケート


1)好きな音楽(ミュージシャン)を教えてください。特定のアルバムなどがあれば、そのタイトルもお願いします。

パンク、ロック、メタル、ハードコア、洋楽、邦楽、アイドルからジャニーズまで何でも好きです。パーソナリティの時にいろんな曲をかけていたので全部大好きに。

2)好きな映画があれば教えてください。特に好きなシーンなどがあれば、かんたんな説明をお願いします。

『モンティパイソン』テレビ版も映画も好き。全部DVDもってます。とにかくすごいコントチームです。頭のいいコントが好きです。もちろんジョビジョバもいいですよ。

3)影響を受けたと思われる本、好きな本があれば教えてください。

小説はあらすじを読んで満足するタイプです。読書感想文の宿題も100字のあらすじを元に2000字にふくらませて書いていました。想像力のたまものです。
一番大事な本はやはり『浄土真宗聖典』です。いつも机の上に。

4)好きなスポーツはありますか? またスポーツされることはありますか?

運動は大好きです。中高バスケ部。急にテコンドーならったり、トライアスロンやったり。今もジムで筋トレにランニングにスイム。

5)好きな料理・食べ物はなんですか?

少食です!

6)趣味・特技があれば教えてください。

パソコン。勉強。なにかと無理がきく。

7)苦手だなぁと思われることはなんですか?

考えることが増えすぎること。そんな時はふて寝します。

8)旅行してみたい場所、国があれば教えてください。

インド。中国。イギリス。フランス。

9)子供のころの夢、なりたかった職業があれば教えてください。

スーパーカーに乗った新聞記者。

10)尊敬している人がいれば教えてください。

親鸞さま。ただ人ではありません。

11)学生時代のクラブ・サークル活動では何をされていましたか?

中高バスケ。大学で演劇映画サークル。ちゃらちゃらしたサークルにも。

12)アルバイトされたことはありますか? あればその内容も教えてください。

コンビニ。引っ越し。パン工場。仕分け。居酒屋。パン工場は本当大変でした。CM現場。照明。舞台ばらし。なんでもやってました。

13)(お坊さんなのに)どうしてもやめられないことがあればこっそり教えてください。

深酒。

14)休みの日はありますか? もしあれば、休みの日はどんな風に過ごされていますか?

休みはありません!空いた時間にちょこちょこといろいろとやります。

15)1ヶ月以上の長いお休みが取れたら何をしたいですか?

部屋に籠もって宗学研鑽。お坊さんの勉強。

16)座右の銘にしている言葉があれば教えてください。

そういやなぜだかありません。

17)前世では何をしていたと思われますか? また生まれ変わったら何になりたいですか?

地獄で泣いていたのだと思います。今度はお浄土で仏になります。

18)他のお坊さんに聞いてみたい質問があれば教えてください。(次のインタビューで聞いてみます)

「今までの人生で一番笑った出来事は何ですか?」

19)前のお坊さんからの質問です。「愚問ですが、もし欲しいだけ資金が与えられるとしたら、それをどう生かしますか?」

仏さまのまわりを徹底的に荘厳します。そしてお寺の裏に温泉を堀ります。私立学校もつくります。病院も併設。介護施設も。とにかく色んな人が教えを聞けるようにします。劇場もつくります。経蔵をつくります。大蔵経が欲しいです。

プロフィール

木下明水/きのした めいすい
1971年9月26日生まれ。勝明寺13世、副住職。本願寺派布教使。輔教。明治大学文学部日本文学専攻卒業。龍谷大学仏教学部真宗学専攻修士課程修了。宗学院卒業。明治大学で映画と演劇のサークル『騒動舎』メンバーになり、コントグループ『ジョビジョバ』に参加。2002年12月『ジョビジョバ』活動休止後は、ホリプロに移籍。俳優、タレント、放送作家、『木下明水のオールナイトニッポンいいネ!』でパーソナリティを務めた後、勝明寺副住職に。現在は、お寺の法務や布教使として各地での布教を行う”真面目なお坊さん”。

メイスイ.TV http://syoumyouji.jp/meisui/

浄土真宗 金剛山 勝明寺

天正十三年(一五八五)に、関白道長の末裔、木下式部家久の一子、俗姓竹麿が浄土宗知恩院で剃髪し得度。そして天正十九年(一五九一)に肥前の国唐津で勝光寺を開基する。文禄二年(一五九三)には権大僧正に任ぜられるが、慶長十四年(一六〇九)に真宗の説法を聞いて歓喜充満し、慶長十六年(一六一一)に浄土真宗に帰入。そして寛永六年(一六二九)七月八日に、本願寺十二代准如上人より寺号「勝明寺」と法名「教信」、さらには「木仏の御本尊」を頂き、八代植柳の地に勝明寺を創立したと伝えられている。初代教信の母は武田信玄の娘明照院と寺伝にある。

熊本県八代市植柳下町1024
http://syoumyouji.jp/

木下明水さんの近況

久しぶりにコメディの脚本を書きました!
『男×女』第三弾
女「愛してるって言って欲しい」
男「言わなくてもわかるでしょ?」
男と女は違う生き物。結ばれるのが奇跡。
どんな人でも恋はする。人の恋愛見て我が恋愛を知る…
覗いて見ませんか?色んな恋愛の形を。

【出演】
杉崎真宏/石井康太(やるせなす)/市川訓睦/もたい陽子/寺崎裕香/神在ひろみ/ゆみみ(マリア)/甲斐野由佳
【企画・原案】杉崎真宏
【脚本】木下明水
【構成・演出・プロデュース】西山裕之
【日時】2011.1/12(水)?1/16(日)
【会場】中野ザ・ポケット 東京都中野区中野3-22-8
http://www.fujitv.co.jp/events/stage/otokonna/index.html
http://www.otoko-onna.com/

ジョビジョバ時代のコント番組がYouTubeに!
http://www.youtube.com/watch?v=gG1dijSN_a8
http://www.youtube.com/watch?v=P982Q4AZgRI
フジテレビ「ロクタロー」

プロフィール

木下明水/きのした めいすい
1971年9月26日生まれ。勝明寺13世、副住職。本願寺派布教使。輔教。明治大学文学部日本文学専攻卒業。龍谷大学仏教学部真宗学専攻修士課程修了。宗学院卒業。明治大学で映画と演劇のサークル『騒動舎』メンバーになり、コントグループ『ジョビジョバ』に参加。2002年12月『ジョビジョバ』活動休止後は、ホリプロに移籍。俳優、タレント、放送作家、『木下明水のオールナイトニッポンいいネ!』でパーソナリティを務めた後、勝明寺副住職に。現在は、お寺の法務や布教使として各地での布教を行う”真面目なお坊さん”。

メイスイ.TV http://syoumyouji.jp/meisui/

浄土真宗 金剛山 勝明寺

天正十三年(一五八五)に、関白道長の末裔、木下式部家久の一子、俗姓竹麿が浄土宗知恩院で剃髪し得度。そして天正十九年(一五九一)に肥前の国唐津で勝光寺を開基する。文禄二年(一五九三)には権大僧正に任ぜられるが、慶長十四年(一六〇九)に真宗の説法を聞いて歓喜充満し、慶長十六年(一六一一)に浄土真宗に帰入。そして寛永六年(一六二九)七月八日に、本願寺十二代准如上人より寺号「勝明寺」と法名「教信」、さらには「木仏の御本尊」を頂き、八代植柳の地に勝明寺を創立したと伝えられている。初代教信の母は武田信玄の娘明照院と寺伝にある。

熊本県八代市植柳下町1024
http://syoumyouji.jp/

 

お坊さん、地域で生きる人、職人さん、企業経営者、研究者など、人の話をありのままに聴くインタビューに取り組むライター。彼岸寺には2009年に参加。お坊さんインタビュー連載「坊主めくり」(2009~2014)他、いろんな記事を書きました。あたらしい言葉で仏教を語る場を開きたいと願い、彼岸寺のリニューアルに参加。著書に『京大的文化事典 自由とカオスの生態系』(フィルムアート社)がある。