仏教に人生を賭けて出家した人/勝本華蓮さん

今回は、パーリ学の研究をしているお坊さん、勝本華蓮さんにインタビューをしました。華蓮さんは、いわゆる「在家からお坊さん」になった人。広告デザイナーとして活躍されていた30代前半に、仏教に出会ったことによりすべてを捨てて出家を決心されたそうです。想像するに、30歳を少し過ぎたばかりの女性にとって、仏の道に入ることを選ぶことは決して小さなことではなかったと思います。華蓮さんはこともなげに語られますが、30代になって改めて仏教学、サンスクリット語やパーリ語を学び究めるということも、誰にでもできることではありません。やはり、華蓮さんが仏教に人生を賭けているからこそ、なし得たことが多いのではないかな、と思います。

インタビュー前編では、華蓮さんが仏教に出会う前のこと、そして仏教に出会ってから今に至るまでのお話を伺っています。「お坊さんってなんだろう?」という問いに対する華蓮さんの言葉には、深く納得させらるところがありました。

28歳で独立したデザイナー、仏教に出会う

——華蓮さんは、お坊さんになる前はデザイナーをされていたそうですね。

子どもの頃から絵を描くのが好きで、中学生の頃には「将来はイラストレーターか広告関係の仕事をしよう」と考えていたんです。絵の仕事だったら、机と画材があれば独立しやすいかなと。それに、大学へ行ってOLをして、結婚するというような人生は私には向いてないって強烈に思っていました。独立して、自由にやりたいことをやっていたいという考え方は、当時から変わっていないですね。

高校卒業後は、デザイン系の専門学校で勉強してデザインスタジオに勤めました。でも、会社のなかのデザイナーって、営業さんが取ってきた仕事を形にするだけなんですね。自分の考えを仕事に反映しようとすると、前に出ていって企画もできるようにならないといけないし、営業もできないといけない。そうやって、前に出て行くうちに転職をして広告ディレクターになり、28歳で独立して広告の企画デザイン事務所を開きました。31歳の時にはマンションを購入して、中古ですけど外車に乗っていたんですよ(笑)。

——今の華蓮さんからは想像できないですね……。

トコトコッと出かけていって「マンション買う」って不動産屋と契約したり、全部ひとりでやっていたんです。今この歳になって31歳の女の人を見るとすごく若いですよね。銀行もよく31歳の人にお金を貸したなぁと思います。  独立してすぐ、広告業界向けの情報誌を創刊しました。見本を作って広告営業にまわったのですが、「今までのコネは一切使わない」と自ら決めて全部飛び込みで行ったんです。一社と親しくなったら次の人を紹介してもらって、どんどん横に広げていったら創刊号から黒字になりました。これはすごく鍛えられましたね。それを続けていくのは疲れましたが……。

——なかなかできないことだと思います。すごい行動力ですね。

ほんとにね(笑)。そのうち、デザインの方で大きなクライアントから仕事を受けるようになると、外注スタッフへの支払いも発生するので、税金対策のために会社を設立しました。仕事は順調でしたが、なぜか「これが一生の仕事だ」とは思わなかったんですよ。だから、社員は雇わず外注していました。人を雇うと責任が発生するから簡単に辞められませんしね。

そしたら、ある時営業に行った会社で在家仏教徒に出会ったんです。その人は私を見て「この人なら仏教の教えがわかるはずだ」と思ったらしく、熱心に生まれ変わりの話をはじめて。当時、自分なりに宇宙はどうなっているんだろう? 生まれ変わりはどうなっているんだろう? と興味を持っていたので、勧められるままにその方の先生である「在家のお坊さん」にお会いして、阿弥陀仏の救済や親鸞聖人のお話を聞かせていただきました。この出会いが「うん、私の生きる道はこっちだ」と仏教のほうへ進んでいくきっかけになりました。

「もっと価値あるものに人生を賭けよう」と仏道修行へ

——それまでの人生では、仏教やお坊さんとは特に縁があったわけではないんですよね?

全くなかったです。この出会いの後、和訳された大乗仏典(お経)を読んだり、教えてもらった瞑想法を実践したりするなかで、仏教に対する確信を深めていきました。そのうち、事務所でもずーっと仏教書や仏典を読みふけるようになり、仕事をしていると「こんなことをしている場合ではない」「もっと仏教を学びたい」という気分になってね。仕事を辞めることにして、ついに会社を畳んでしまいました。

——華蓮さんの仕事は、独立までして自らの手で作りあげてきたものだったわけですよね。それを、全部捨てていいと思えたのはどうしてでしょうか。

広告というのは、究極的には商品を売るために企業の旗振りをする仕事でしょう? ポスターやパンフレットを作っても、何十年も残る価値のあるものではないし、はっきり言って消耗品です。他の仕事よりなんとなくカッコよく見えますが、ただお金が稼げるだけで私自身が豊かになるわけでもありません。私は、自分にとってもっと価値のあるものに人生を賭けたいと思ったんですね。

世の中の価値観は時代ごとに移り変わります。江戸時代には武士の仇討ちは合法でしたが、現代では仇討ちしたら捕まりますよね。本当の宗教と言うのは、この世の時代ごとの道徳や常識などで価値判断できるレベルを超えると思うんです。お釈迦さまが家族を捨てて出家されたことを「家族を捨てるなんてひどい!」というのは今の世間の常識で測ったときの見方ですよね? でも、お釈迦さまが求め、そして到達された境地はすでにこの世の価値観を超えたことなので、世俗の善悪では測れないことなんですよ。

宗教というのは、人の生死や霊のような見えない世界に関わって、この世を超えたレベルでの世界観を提示するものだと思います。そういう意味では宗教は反社会的なものとさえ言えますね。一般には、人はこの世の中で生きていたいと思うのが普通のことだとされていますけれど、なかには「ちっとも生きていたいと思わない」「子どもの頃から死ぬことを考えていた」という人もいます。そういう人のための教えも必要なんじゃないかな。幸せいっぱいに生きている人に対して、「この世は苦ですよ」とわざわざ言う必要はないけれど、生きにくさを感じている人たちのための教えも必要だと思います。

——仕事よりも、仏教の説く世界のほうに価値を見いだされたんですね。

ただひたすらに仏教に浸りたくて。とはいえ、仕事を辞めたらローンが払えないからマンションを売って、何の当てもなく比叡山の坂本へポーンと引っ越しました。当初は勉強と修行がしたかったので、毎朝水をかぶって6時ごろに日吉大社にお参りをして、あとはずっと法華経の写経をしたり図書館で借りてきた仏教書を読んで過ごしていました。自己流の修行ですよね。そのうち、ふらっと叡山学院を訪ねてみたら「佛教大学の通信講座もありますよ」と教えてもらい、叡山学院の聴講生として天台学を、佛教大学で仏教学を学び始めました。

「お坊さん」っていったいなんだろう?

——当初、修行道場などには入らず、自己流で修行をされたのはどうしてですか?

私は、悟るための修行がやりたかったんです。仏教の教えは経典や仏教書で学べますが、修行のマニュアルは手近には見つからなかったんですね。諸宗派で行う”修行”はお坊さんの職業訓練的な側面が強く、悟りを目指すものではありません。また、どの修行道場でも得度をしていないと入れてもらえませんし、得度をするには”師僧”になってくださる方が必要です。

——なるほど。在家から僧侶になるにはまず師僧を見つけないといけないんですね。

そうです。師僧になるということは、弟子の後見人的な意味合いもあり責任も生じます。在家からお坊さんになる人にとっては師僧を見つけることが難しいんですよ。私の場合は叡山学院の聴講生をしているときに、中国の天台山参拝旅行でお会いした青蓮院の尼僧さんがご縁を取り持ってくださって、当時の青蓮院門主が師僧として得度受戒をしましたので、比叡山の行院で修行をすることができました。

 ——「悟りを目指す修行」ではないけれど、天台の修行をされたのはどうしてですか?

私は、「在家のお坊さん」に出会って「この人はホンモノだ」と感じた経験もあり、「お坊さんって何だろう」と考えていたんですね。衣を着ていることやお寺に住んでいることが、お坊さんの条件ではないんじゃないかな、と。  お釈迦さまのすごいところは悟られた後に、教えを人に説いたことにあります。お釈迦さま自身はもう解脱しているのだから、自分のことだけを考えるなら人に教える必要はないわけで、お釈迦さまが教えを説いたのは100%人のためです。そう考えると、お坊さんのいちばん大切な役目は教えを説くことにあると思ったんですね。

私にとっては、仏典など教えを説いてくれる本が先生みたいなものでしたし「私のお寺は本だ」と思っていました。だから、いつからか「私も仏教のことを本に書いて伝えたい」という思いを持つようになりました。初めて師僧にお会いして「何がしたいんですか?」と尋ねられたときも「仏教の本を書きたいんです」と答えたことを覚えています。

じゃあ、どうして天台宗で修行する必要があったのか? ということですけども、日本のお坊さんがどういう行をしているのかを体験してみたかったんです。それに、いざ私が仏教を人に伝えたいと思ったとしても、出家もせず剃髪もしていなかったら誰も聴いてくれないと思ったんです。

「いつやめてもいい」という覚悟が強みになった

——「私のお寺は本だ」ってフレーズ、カッコいいですね。

いいキャッチフレーズでしょう?(笑) 。佛教大学を卒業した後に、他宗派の尼寺から声をかけてもらってしばらく住んでいたことがあるんです。京都大学の聴講生を続けていいと言われていたのですが、朝早くから夜までずっといろんな用事があって、半年ほどで体を壊して勉強どころではなくなって……。「こんなことをするために出家したのではない」と思い悩んだ末に出て行きました。お寺からの出家、ですよね。それからは、二度と尼寺には行かないと思っています。

在家からお坊さんになろうとする人は、「山寺でもいいから」と理想を思い描くんですよね。ところが、今の日本には檀家制度がありますから、小さな寺でも檀家さんの意向に沿わなければいけないし、自由なことばかりできるわけでもない。また、宗派もまた一種の村社会でがんじがらめの組織です。その暗黙の掟に逆らうには、「いつやめてもいい」というくらいの覚悟が必要です。いざとなったら出て行ってもいいんだ、と腹を括らないと思いきったことはできないんですよ。

——「いつやめてもいい」という覚悟、ですか。

そもそも、出家というのは世俗の価値観を離れて、出世間的な価値観に生きることであって、必ずしも宗派に属する寺院に入ることではないと思います。私は、所属はあるけれどお寺を持っていません。「お坊さんなのにお寺がない」ということは、今となっては強みになっています。守るものがないですし自由に活動できますから。「スリランカに留学」なんて、お寺を持っていたら行けないですよ。お坊さんの世界では「あの人はお寺もない」と言われるかもしれませんが、社会においてはその弱点が強みになっていくような気がするんです。私は自由でいたいし勉強も続けたいですから。  尼寺から出た後は、京都大学の梵文学梵語学の修士課程に入学して、サンスクリット語やパーリ語を学び、今も研究を続けながら講師として教える仕事もしています。

もっとお釈迦さまのことを知りたくて

——華蓮さんを仏教研究に駆り立てるモチベーションは何なのでしょう。

最初に出会った浄土系の教えは、念仏をあげて阿弥陀仏に救われる「救いの宗教」だったんですよね。ただ、いろんなお経を読んでいくとね、お釈迦さまの時代には阿弥陀仏っていないんですよ。「あれ、お釈迦さまと阿弥陀さまの関係ってどうなっているの?」という素朴な疑問から勉強が始まりました。「浄土に救われるってどういうこと?」「悟りとお釈迦さまの関係は?」「阿弥陀さまとお釈迦さまの関係は?」って問われて、スパッと答えられる人は少ないのではないでしょうか。

仏教はお釈迦さまから始まって、長い歴史を経て各地でさまざまな発展をしながら日本に伝わっています。日本から中国へ、中国からインドの大乗仏教、そして原始仏教へと、歴史をさかのぼるように勉強していきました。さらには、お釈迦さまが本当はどんな風に話をされたのかを知りたくて、サンスクリット語、パーリ語へと勉強を進めていったんですね。調べれば調べるほど、知りたいことが出てきちゃって(笑)。論文のテーマには困ったことがないですね。

——「救われた!」と思ったけれど、そこで満足して終わりにはならなかったんですね。

そうですね。その時は「そうだ、救われた」と思ったんですよ。でも、自分の経験したことを人に正しく伝えようとすると、勉強しないとだめでしょう。今はね、どの教えだけが正しいということではなく、全部が方便なんじゃないかという立場なんです。

仏教の教えは”方便”でしか説けない

——すべての教えが方便、ですか?

お釈迦さまは、子どもを亡くして悲嘆にくれる母親に「子どもを生き返らせてください」と言われて「人が死ななかった家からカラシの実をもらってきたら生き返らせてあげますよ」と答えています。でも「人が死なない家」はありませんよね。その事実に気づかせて、子どもの死を受け入れさせるために「生き返らせてあげますよ」というウソ、つまり方便を使うわけです。一方で、出家した人たちには、この世において生も死もないと説きます。一見バラバラなことを言っているように見えますが、究極のところは人間世界の判断のレベルを超えたところにあるから言葉では説けないので、相手のレベルに合わせていろいろな方便を使うのは当然のことだと思うんです。

——究極のことは言えないけれど、そこに導くために「方便」があるんですね。

人間の脳は、「ありありと思ったこと」と「現実に見ているもの」の差がわからないそうです。あまりにもリアルな夢を現実だと思いこんでしまったりするでしょう? ということは、この世界も本当のところは全部幻想だということになるかもしれません。何かを見るというのは目を通して光を電気信号に変え、それを脳が信号でイメージとして組み上げているわけですから。同じ理屈でいけば、浄土や仏もあり得ると思います。強く強く、阿弥陀仏や浄土をイメージして植え付ければ、それに救われることもあるんじゃないかな。全部、方便なのであれば効果のあることはやればいいと思っているんですね。信仰を持って不安がなくなるのであれば、不安におびえて生きているよりずっと幸せです。それで世の中が良くなるのであればいいと思います。

「本」という「お寺」でこれからやりたいこと

——華蓮さん自身は、これからどんな風に仏教を伝えていくのでしょう?

ひとつは、仏教研究者として、仏教の疑問点を学問的に解明して本に書きたいです。歩いているときも疑問点をずっと考えていますし、書いているときはパソコンの前で瞑想しているような感じです。これはある意味、自利の行とも言えるかもしれませんね。

もうひとつは、お釈迦さまや仏弟子が人々のためにわかりやすく教えを説いたように、仏教の教えをわかりやすく書くということにも取り組んでいます。これは、お坊さんである私がやるべきことだと考えています。一般の人は仏教知識ではなく生き方にプラスになったり、心が安定するヒントを求めていると思うので、そういったことを念頭に置いて読者に何をどう伝えるべきかを考えながら書いています。

おそらく、日本のお坊さんでありながらニュートラルな立場でしゃべれる人は少ないと思います。信仰していないのにお葬式だけお坊さんを呼ぶのはなぜだろう? と疑問を持っている人や、自らも老いてきて親の介護に悩む世代の人は、現代人に納得できる言葉で仏教を説いて欲しいのではないかと。そのための私なのかな、という思いはあります。

——『みんなの仏教塾』のような講座は、今後も続けられる予定ですか?

『仏教塾』は、今年のお正月に「一般向けの仏教講座をしてほしい」という電話をいただいことがきっかけでした。それまではご要望いただいてもお断りしていたのですが、ちょうど菩薩をテーマにした原稿を書き上げた直後だったせいか、それが天の声に聴こえたんです。何人かに意見を聴いてみると、全員が「参加します」と返事をくれたので、「これは『やりなさい』ということだな」と思って決意しました。

『仏教塾』は、私の修行の場にもなっています。いろんな立場の方が来られますし、それぞれに仏教に対する姿勢も違う。みなさんに満足してもらうのは難しいし、試行錯誤の連続です。でも、参加者はいい方ばかりですし、ご縁が広がっていくのは楽しいですね。

とりあえずは、「来春まではやる」と宣言しましたので、そこまでは必ず続けるつもりです。それで終わりにしたいと思っていたのですが、友人が人を紹介してくれたり「今は都合が悪いけれどいつかは行きたい」と言われたりすると、正直言って迷いますね。限られた時間のなかで、何を優先すべきかと。本当はね、私は一人こもってえんえんと研究をしているのが好きだし楽しいんですよ(笑)。

——参加者のひとりとしては、今後も続けてくださるといいなと願っています。ありがとうございました。

坊主めくりアンケート


1)好きな音楽(ミュージシャン)を教えてください。特定のアルバムなどがあれば、そのタイトルもお願いします。

歌のない音楽が好きです。民俗音楽、クラシック音楽など。

2)好きな映画があれば教えてください。特に好きなシーンなどがあれば、かんたんな説明をお願いします。

ほぼ毎週映画を観ていた時期もありましたが、仏教に出会ってからはほとんど観ていません。好きなシーンは……思い浮かびません。ちなみに、数年前からテレビもない生活です。

3)影響を受けたと思われる本、好きな本があれば教えてください。

影響を受けたのは原典和訳で読んだお経の本、好きで読むのは科学の本。

4)好きなスポーツはありますか? またスポーツされることはありますか?

若い頃はテニスとスキーをしていました。近年はヨーガ(スポーツかな?)

5)好きな料理・食べ物はなんですか?

なんでも。ただし牛肉は体質にあいません。

6)趣味・特技があれば教えてください。

お風呂(温泉◎)と散歩。特技は、初対面でも親しく会話できること(子供と動物は除く)

7)苦手だなぁと思われることはなんですか?

頼まれると、断るのが苦手。

8)旅行してみたい場所、国があれば教えてください。

紛争中は行けなかったスリランカの北東部、ネパール、台湾

9)子供のころの夢、なりたかった職業があれば教えてください。

漫画家

10)尊敬している人がいれば教えてください。

この世で活動していた頃のお釈迦様

11)学生時代のクラブ・サークル活動では何をされていましたか?

(回答なし)

12)アルバイトされたことはありますか? あればその内容も教えてください。

販売員その他いろいろ。厨房でまかない食を作ったこともあります。

13)(お坊さんなのに)どうしてもやめられないことがあればこっそり教えてください。

お世辞とかでウソをつく(妄語)、ムダなおしゃべり(綺語)……やめたいけど、やめると世間は渡れない。「十善」さえ守れないのに、お坊さんって何なんでしょうね。

14)休みの日はありますか? もしあれば、休みの日はどんな風に過ごされていますか?

出講日以外は家にいますが、家で仕事しているので、あいまいです。読書も仕事なので。

15)1ヶ月以上の長いお休みが取れたら何をしたいですか?

海外に行くか、家でいつも通り暮らします。

16)座右の銘にしている言葉があれば教えてください。

人事を尽くして天命を待つ

17)前世では何をしていたと思われますか? また生まれ変わったら何になりたいですか?

政治に携わっていた。生まれ変わりたくないです。だから聖者(阿羅漢)になりたい。

18)他のお坊さんに聞いてみたい質問があれば教えてください。(次のインタビューで聞いてみます)

「あなたにとって、あるいは所属宗派にとって、「尼さん」とはどういう存在ですか?」

19)前のお坊さんからの質問です。「「日本のお坊さんだからできること、取り組める仕事」(いい意味で)があるとしましたら、それはどのようなものだと考えられますか?」

お葬式や心の相談は他宗教の宗教者もしていることで、寺院経営や文化財管理は在家者でもできます。それらを除外して、「日本のお坊さん」にしかできないことといえば、結局、「日本伝統の仏教の儀礼・法要を行なうこと」と「日本仏教の教えを説くこと」だけではないでしょうか。至極あたりまえの答ですが、大事なのは、それを求めている人々のために、プロとして行なうことだと思います(宗学の押し付けではなく)。
日本仏教批判がありますが、それは教義に対してというより、(一部の?)心ないお坊さんの態度や能力に対する不満のようです。法要がお坊さんの集金手段にしかみえないないのは、お坊さん自身が自派の教義や法要の効果を信じていないからではないでしょうか。
最近、お坊さんの新しい活動が紹介されますが、「お寺に人を集める」ことが目的になっているようです(いわばハコモノからの発想)。現代風なイベントの企画することが、お坊さん本来の仕事とは私には思えません。

余談ですが、「坊主めくり」の「『拝、ボーズ!!』のお坊さん/倉敷・高蔵寺 天野こうゆうさん(下)」で、天野さんが辻説法の企画を考えて桂米裕さんにもちかけたら、「人を集めるってどれだけ大変か。メディアを使いましょう」とアドバイスされたという話が出ています。私も「みんなの仏教塾」を主宰し、4回終わったところでそれを実感しました。本業である研究や授業や原稿執筆の合間に、人集めのためのチラシ作成やブログ更新、会場手配等の雑務に終われ、肝心の当日の講義について熟考する余裕がありません。はたしてこれはお坊さんとしての私がなすべき仕事なのかと疑問をもち始めていたところです。こうして白川密成さんからの質問を考えているうちに、答えが見えてきたような気がします。これも縁かもしれませんね。有難うございました。

 

 

プロフィール
勝本華蓮/かつもとかれん

1955年(昭和30年)、大阪府に生まれる。1991年に天台宗青蓮院門跡にて得度。佛教大学文学部仏教学科卒業、京都大学大学院文学研究科文献文化学専攻博士課程単位取得退学。博士(文学・花園大学)。専攻はインド仏教学、パーリ学。花園大学非常勤講師、叡山学院専任講師、スリランカ国立ケラニヤ大学パーリ学仏教学大学院客員研究員等を経て現在、東方学院講師、叡山学院非常勤講師、天台宗典編纂所編纂研究員を務める。著書に『チャリヤーピタカ註釈― パーリ原典全訳―』(国際仏教徒協会、2007年)、一般向けの論文「俗世間において出世間的に生きる」(『現代と仏教』所収、佼成出版社、2006年) 等のほか、研究論文を多数執筆。翻訳書に『原始仏典』第6巻・第7巻(ともに共訳、春秋社、2005年)がある。

勝本華蓮さんの著書

お坊さん、地域で生きる人、職人さん、企業経営者、研究者など、人の話をありのままに聴くインタビューに取り組むライター。彼岸寺には2009年に参加。お坊さんインタビュー連載「坊主めくり」(2009~2014)他、いろんな記事を書きました。あたらしい言葉で仏教を語る場を開きたいと願い、彼岸寺のリニューアルに参加。著書に『京大的文化事典 自由とカオスの生態系』(フィルムアート社)がある。