【刺さる言葉に救われる】南直哉師のブログが書籍になって、また刺さる!

「語る禅僧」といえば、もはや「南直哉」をおいて他にないでしょう。有名になるにつれイメージ先行で見られるのは世の常ですが、「語る」ことを得意とする南直哉師は大いに語ることで、そんなイメージや誤解を払拭しています。

「語る」ことは「考える」こと。語る以上に考えるが故に、師の言葉はイタイほど刺さってきます。そんな師の言葉に一番触れやすいブログ『恐山あれこれ日記』を精選し、再編集した本が出版されました。ズバリ『刺さる言葉』。永平寺で同じ時を過ごし、師をよく知る禅僧・長谷川俊道さんがブックレビューしてくださいましたので、ここに紹介します。

きっとあなたにも「刺さる言葉」が見つかるはず。単行本にして344ページの思索の渦に飛び込んでみませんか?


南さん(あえて老師といわず、「さん」で呼ばせていただく)の初本『語る禅僧』(朝日新聞社)から早20年余り。今や日本三大霊山のひとつ青森県恐山の院代(住職の代わり)を務めておられる南さんのブログ「恐山あれこれ日記」を1冊にまとめたものだ。

私は曹洞宗の本山・福井県永平寺の国際部の上司と部下とう関係で1年半ほどご一緒させていただいたご縁がある。入門当初はまさに「雲の上のコワそうな人」という印象だったが、実は身内にはとても優しく接していただいた。ここには書けないがお茶目なところも多々ある。

私が修行僧1年目のお正月の全山布教大会でたまたま優勝したときも、「今日一晩は喜びに浸っていいが、明日からはすぐに忘れろ。でないとお前の成長はない」と云われたり、「ここにあるカップは周りにいる人間がカップとして認識しているからカップとして存在するのであって、その認識が崩れればカップでもなんでもない」とか。「悟るということは悟ったあとが大事で、悟ったという人間がその後に、劇的な変化を成し遂げ、周りの人間がきっとあの人は悟ったにちがいないと思ったときにそのような状態になる。ただ自分で悟ったと言って昨日と同じことをしていたら、それはただの勘違いだ」とか、、、、その一言一言が自分に刺さった!!経験がある。

つい最近も、離婚をしてまさに落ち込んでいる私に、「お前これでプラスマイナスゼロだな!アハハハハ!」と言われて涙が出るほど、救われた経験がある。きっと、この本の中で出てくる南さんにご縁のあった多くの人々が「刺さる言葉」で救われていることだろう。2年前にうちの寺で講演をしていただいたときも狭い本堂が超満員になり、笑いあり、涙あり、個人相談ありで多くの檀信徒さんを救っていただいた。

わが禅宗は「不立文字、教外別伝」と言ってなかなか言葉にすることに努力してこなかった感がある。「無常」「無我」「空」「縁起」、、、「悟り」「死」「生」「非思量」「絶対の真理」「本当の自分」などなど。

不勉強な私には理解不可能なところも多いが、今も昔も南さんほど、真剣に修行し、考え、「言葉」にしている禅僧を他に知らない。

この書籍の中には、恐山にインタビューに来た小学生との会話や、福井県で住職をしている霊泉寺に来た子供との会話など楽しく面白いエピードもあり、笑わせてくれる。

本書の中にある「自己が欲望される」という私たちの毎日は本当に苦しいことで、仏教のスタートはこの認識から始まっている。それを一時的に解除して心安らかな時間が必要なはず。それが道元禅師のおっしゃる「万事を休息する」座禅であろう。

この本は仏教に興味のある方のみならず、様々な世代の方に読んで欲しい一冊である。合掌

瑞岩寺住職 長谷川俊道

寄稿:長谷川俊道
未来の住職塾 第三期卒業(東京クラス)

1967年 群馬県生まれ。駒澤大学 仏教学部 禅学科を卒業後、福井県の永平寺で3年余り修行。
ハワイのお寺などの住職を経験した後、実家である瑞岩寺へ。
伝統に縛られない斬新なお寺改革を進め、多方面で活躍中。

瑞岩寺
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ブログ
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著書

彼岸寺

彼岸寺は、仏教とあなたのご縁を結ぶ、インターネット上のお寺です。 誰もが、一人ひとりの仏教をのびのびと語り、共有できる、そんなお寺です。