『行動する仏教』煩悩から自由になれない私たち

ずっと前に買ったのに読まずに積読(つんどく)状態になっている本ってありますよね? えっ、一冊どころじゃない? 私もそうです。読まれるのを気長に待ってくれている本が山ほどあります。その中でも自分の中でずっと優先順位を高くして読まなきゃと覚えている本が数冊あり、今回ご紹介する『行動する仏教』もそういう一冊です。ついに時間を見つけて読了することができました。

実は積読状態だった理由がもう一つあります。著者の阿満 利麿(あま・としまろ)さんは仏教界で有名な学者であり著作も多いのですが、そのラインナップを見ていると親鸞聖人や歎異抄に関するものが多く、法然上人を開祖とする浄土宗の私にとっては微妙に信仰理解が異なるような気がして二の足を踏んでいたのです。

一般の方にはさほど大きな違いがないように思える浄土宗と浄土真宗ですが、なかなかどうして信仰や教義に関して異なる部分が少なくありません。もちろん両方ともお念仏「南無阿弥陀仏」の宗旨ですから、数多くの仏さまの中から阿弥陀さまをご本尊として仰ぐことに違いはありません。親鸞聖人は法然上人のお弟子ですし、「たとえ法然上人に騙され、お念仏して地獄に堕ちたとしても、私は決して後悔はしません」と仰るほど慕われていましたので、ただお念仏を称えるだけで救われるという信仰の根本は共通しています。しかしながら、厳密に見ていくと教義の中心となる阿弥陀さまや極楽浄土の捉え方にも違いがあり、それ故に浄土宗と浄土真宗の伝統や文化や雰囲気が大きく異なっていることは事実です。もちろん、どちらが優れていてどちらが劣っているという訳ではありませんが、浄土宗の信仰を持つ私としては少しの躊躇があったのは確かだったのです。

そんな迷いがあったものの、本書が素晴らしい内容だということは度々耳にしていましたので、いつか読まなければと考えていました。そしてやっとその日が来たという訳です。前置きが長くなりましたが、やはり大変勉強になる良書でした。もっと早く読むべきだったと若干後悔もしました(笑)

前半は法然上人・親鸞聖人に相通じる人間観について掘り下げています。徹底的に事自己の内面を見つめ、いかに自分が自己中心的な思考にとらわれているかが叙述されます。人間とはどういう存在か、煩悩を捨て去ることができるのか、自分の愚かさに気付くことができるのか、愚かさに気付きたいと考えているのか、ということが「これでもか、これでもか」というくらいに自問自答を投げかけます。

結局は愚かさの自覚すら難しい存在であることを突き付けられるのですが、それが浄土宗にしろ浄土真宗にしろ日本浄土教を理解する上で欠かせない人間観=凡夫観なのです。凡夫とは「関西風にいえばアホ」「分かっちゃいるけどやめられないという意志の弱さ」「思いやりという仮面をかぶった自己愛」「いつも自己の利害が垣間見られてしまうヒューマニズム」などと説明され、要するに「煩悩から自由になれない存在」ということです。次の叙述には驚かされるとともに頷かざるを得ません。

私たちは、自分の底知れぬ欲望をいついかなるときでも自在にコントロールすることができるのであろうか。あるいは、存在の真実を見抜く智慧を身につけることができるのであろうか。「苦」からは解放されたいが、果たして欲望を滅ぼしてまで到達したいと思っているのだろうか。私たちが願うのは、欲望がほどほどに満足されて、なおかつ、「苦」から解放される方法ではないか。

この人間観=凡夫観は法然上人と親鸞聖人に通底するものですから、理解しやすいものでした。それに対して、後半ではその人間観に立脚した上で、実際に教義を社会や生活にどう活かすかが述べられます。単なる思想論や机上の空論に終わらない浄土教の素晴らしさを再認識し、浄土教的生き方の実践について提言が続きます。「社会から切り離された個人という考え方は幻想でしかない」と指摘されるように、個人の内面を見つめる場合でも社会と完全に隔絶して考えることは不可能でしょう。ですから、浄土教に説く慈悲・利他の精神が社会に対しても欠かせなくなると述べられます。ただ後半はどちらかと言うと、やはり親鸞聖人の浄土真宗的なニュアンスと歴史的影響を感じる論述でした。法然上人の浄土宗的な理解との違いを意識しつつ読むと、より一層興味深く感じられのではないでしょうか。

以上、読む前の躊躇がもったいなかったと思えるほど示唆に富んだ内容でした。特に前半の人間観の指摘にはハッとさせられるものがあり、本当に私たちの愚かさを見つめるキッカケとなりました。お坊さんはマニアックに、お坊さん以外は肩の力を抜いて仏教の進むべき「行動」とは何かを感じていただければと思います。

彼岸寺

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