拝啓
朝晩は幾分涼しくなり、ようやく秋の気配を感じる今日この頃です。
今回のおじいちゃんへの質問は、
「阿弥陀様の救いに条件はあるのでしょうか。」
ということです。
数年前、私は友人の死という現実に直面し、
その時に感じた思いを綴った手紙をおじいちゃんに送りましたね。覚えていますか?
その中で、友人の死という現実をどう受け止めてよいのか分からず混乱する一方で、
「起きたことには必ず意味がある、そうなるべくしてなった」とどこかで思ったこと、
また、「私より一足先に浄土にいったのだと思うと、
しんどいこの世の中にいるよりよかったのではないか」
そのように思ったと書きました。
また、その反面、こらえきえれない「悲しい」という思いがわきあがってきて、
そのことに戸惑い、「悲しいというその思いはどこからやってくるのだろう」
という疑問がわいたこと、
そして、ふとそれが「我」であることに気づいたということも書きました。
おじいちゃんは、会った時にいろいろと話してくれましたね。
しかし、混乱している私を前に、あまり多くを語れなかったのでしょう。
それからしばらくして、一通の手紙をくれましたね。
今回の私の疑問は、おじいちゃんがくれたその手紙の中から始まっています。
続きを読む
"4.1「阿弥陀様の救いに条件はあるのでしょうか」[手紙]"